ルイス・キャロルの作品。写真の公式発表は
1839年なので、
ルイス・キャロルが撮影を開始した
1850年代は写真の初期に当たる。当時の写真はいまだ露光時間が数分を要していたため、ポートレイトを撮るのは至難の業であった。しかも、
ルイス・キャロルの撮る対象は幼い少女ばかりである。おとなしくさせておくだけでも大変な労力を要したであろうことは想像に難くない。そのためか、写っている少女の顔はどれも笑ってはいない。それどころか、しかめ面の写真もある。それでも、
ルイス・キャロルの写真に惹かれるのはなぜなのであろう。その鍵は、まさに「しかめ面」にあるのではないかと私は考えている。子供の笑顔の写真は、この世界中に溢れんばかりに存在している。その数には劣るものの、泣き顔の写真もまた同様に溢れている。笑顔や泣き顔が子供の専売特許になっているのである。子供を撮るなら、笑顔か泣き顔かどちらかを撮るべきであるということが常習化している。「物思いにふける子供」「恐怖を抱かせるような子供」「しかめ面をする子供」など誰が好んで撮ろうか。
森山大道が撮った、睨みをきかせた少年の写真が見る者に衝撃を与えるのは、自分の中にある「少年・少女」観を揺さぶるからである。
ルイス・キャロルの写真の魅力の一つもそこにあろう。この魅力は、写真の技術発達でよりよくなるようなものではない。機械技術でありながら、必ずしも進歩的な道筋を歩むわけではないところに、写真の面白さがあるように思われる。