Ma poupee japonaiseMa poupee japonaise
Mario A. 島田 雅彦

論創社 2001-01
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マリオ・Aの写真集。この写真集は一つの(妄想的?)物語にのって構成されている。一番最初に出てくる写真は、ある街の骨董屋の軒先に置かれていた大きな旅行鞄を撮ったもので、ここで見る者に一つの恐ろしい想像を想起させる。「まさか、この中に・・・?」
二枚目には女性の頭部と思われる物体のクローズアップがくるが、画面下左端にさきほどの鞄の留め金が見え、次に続く写真でいよいよ全体像が見えてくる。その鞄に入っていたのは芽足がもがれた女性の「人形」(実際は人間)である。首に彼女の長い黒髪を巻くことで、あたかも首が胴体から切断されているかのように見える。そして、いつの間にか彼女の眼は開いており、切断されていた腕の各部分も再結合され、セーラー服を着、鞄のそばに座り込んでいる。ここで非常にマリオ・Aが上手いのは、生身の女性をあたかも人形のごとく偽装するために、体の各関節部分に輪ゴムのようなもので縛ることによって、まるで球体関節人形のように化しているということである。
その後は彼女を連れて様々な場所(ドライブ中の車、ショーウィンドウ、トイレ・・・)に繰り出す。そして最後に、旅館のようなところに泊まり、そこに設備されていると思われるプールに彼女は水没していく。それはデカルトが常に携帯していたという自分の娘そっくりな人形フランシーヌが、心無い船長によって海に放り出され沈んでいった、まさにその姿のようでもある。フランケンシュタインも極寒の海に消えていった。人形と水(いや液体といったほうがよいかもしれない)という関係は、人形の持つ無機的な「乾き」と水の持つ有機的な「潤い」とみごとに照応している。人形は水に沈むことで、何かを失うのではなく何かを得ようとしているのだろうか。それは絶望的なまでの望み、人間になりたいという望みなのであろうか。