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オノデラ ユキ

水声社 2002-08
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オノデラユキの写真集。冒頭の写真群から作者の作り出す世界に引きずり込まれた気がする。子供の着るような小さな衣服が曇った空を背景にして浮いており、どの服も何度か袖を通したものなのか、ヨレヨレ感が漂っている。この服を着ていた子供はもう大きくなってしまったのだろうか。小さな服は着る者の不在を訴えているようだ。懐かしさよりも先に不安感に襲われる。大人の服でこのような撮影がされたとしても、これほどの不安を与えることはないかもしれない。子供用の服は本人ももう着ることのできないものであり、着ていた者が生きていようが死んでいようが、必然的に「遺留品」になってしまう。
次の写真群は鳥、おそらく鳩の写真であるが、これも背景は曇った空である。鳥達は何かに気付いたのだろうか。皆が一斉に飛び立とうと羽をばたつかせている。ここでもまた、写真のフレームの外側で何かが起こっている。しかし、そのことに関しては写真は口を閉ざしたままである。
缶詰が宙に浮いている写真と男の子の顔のクローズアップの写真、いずれも粒子が粗く、ぼやけた表面をしている。男の子は人形のようにも見えるし、顔がいびつに変形している。この二種類の写真のつながりが全く不明で、ボルタンスキーも少年少女のぼやけた肖像写真を撮っていたが、オノデラユキの写真は全体的に灰色がかっていて、写っているものが人間なのか人形なのか判然としない雰囲気をそのまま体現しているかのようでもある。
真っ黒な画面。中央に浮かぶ煌々と室内の明かりをつけた一軒屋の写真。おもちゃの家のようでもある。オノデラユキの写真は浮遊感を重要視している。家自らが発する光で、かろうじて周りの闇に飲み込まれずに済んでいるようにもみえる。しかし、その光は人間の存在よりも不在を示しているようだ。まぶしすぎるくらいの光が人間存在を拒否している。誰も住むことができないおもちゃの家。それがここに写っている家である。
最後の写真群は人々が大勢蠢いている場所の写真。ぼやけているし、写真の上半分は一つの大きな光の塊以外黒くつぶれてしまっている。彼ら彼女らがどこに向かって歩いているかも分からない。ただ、ゆらゆらとあてどなく、さ迷い続けるだけ。どこに向かってどれほど歩いても結局はもと居た場所に戻ってきてしまうようなラビリンスがここにはある。