ぺるそなぺるそな
鬼海 弘雄

草思社 2005-10
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鬼海弘雄の写真集。6×6のローライで撮影されたポートレイト群は、浅草寺に訪れた人々から成っている。十数年ぶりに再び撮影された人もいる。それは、十数年ぶりの「出会い」でもあるのだ。どのようにして、お互いが最初の出会いを確認したかは分からない。そうした詳細は、写真からは全く読み解くことができない。あるのは、ただ顔に浮き出ている「時の流れ」だけである。それと同時に、写真は、その時間の流れでも押し流されない、その人特有の「何か」を暴き出してもいる。変化と不変。人物写真と都市写真が何か近しく感じるのは、そこら辺に事情があるかもしれない。破壊され崩され、新たに建造される建物と、粘り強く残り続ける遺物。人の顔の中に残り続ける何かと、背景に残り続ける境内の壁が、人と街をつないでいる。
浅草寺にやってくる人々は、様々である。地元民もいれば、観光で訪れた者もいる。それぞれがそれぞれの物語を持ってはいるが、写真はそこまでは教えてくれない。十数年ぶりにまるで別人のように写っている人に何があったのか。類推しようにも、全く手がかりがない。ただただ、変わってしまったという事実だけを受け止めるしかないのである。2枚の写真の間にある、すっぽり抜け落ちてしまった時間は膨大でありながら、観る者の実時間は刹那(目を隣のページに見やるほどの瞬間)であるという、この余りにも大きな落差に呆然としてしまう。それでも、ポートレイトは続き、私の目もそれを見続けるのである。