カルティエ現代美術財団コレクション展カルティエ現代美術財団コレクション展
フォイル カルティエ現代美術財団 東京都現代美術館 吉田 紀子

フォイル 2006-04
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東京都現代美術館で開催されている「カルティエ現代美術財団コレクション展」のレビューをTokyo Art BeatのTABlogに書きました。もしよろしければ、ご一読を。

レビューでは書いてない、もう一つの現代アートにおける特徴をここに挙げたいと思います。それは、「indiscernibility 識別不可能性」です。1960年代にアンディ・ウォーホルが発表した「ブリロボックス」など、日用品と何ら違いのないものが多くアートワールドに登場するようになりました。もちろん、ウォーホル以前にマルセル・デュシャンが既製品の便器に「R.Mutt」と記した作品「泉」を発表していますが、多くの追従者を出し、一つのムーブメントを作ったという点で、ウォーホルに分があるでしょう。デュシャンは「泉」を発表することで、誰か追従者が出るなどということは全く考えていませんでした。その意味では、ウォーホルの「識別不可能性」の理論的先駆者と考えてもよいかもしれません。
この展覧会でも、「識別不可能性」の特徴を持った作品が出展されています。一番分かり易い作品は、ヴィヤ・ツェルミンシュの「イメージを記憶に固定するⅩⅢ」でしょう。何の変哲もない石とそれに精巧に似せた彩色したブロンズの2つを展示したものです。この2つを見て、どちらが石でどちらがブロンズか全く判断がつきません。マルク・クチュリエの「あなたはここに」も、比較的精巧に作られたオレンジの木であり、識別不可能性を暗示させるものであるでしょう。
特殊なものとしては、ロン・ミュエクの「イン・ベッド」でしょう。これは、実物を目の前にするという観点からではなく、カタログを通して作品を見る観点からの考察ですが、彼の作品を写真に撮影すると、その巨大さが失われ、まさに生きた人間そのもののポートレイトのように見えてしまいます。ここでは、無生物なのか生物なのか全く判断がつきません。また、マーク・ニューソンの「ケルビィン40」は、実際に作られていそうな近未来型飛行機のようにも見え、その作品を前にしたときどのように反応してよいか判断に困ってしまいます。
このように、現代アートをある理論に則って通覧してみるのも、一つの楽しみではないかなと思い、今回TABlogで示した「巨大さ」以外に、はてなでは「識別不可能性」を挙げてみました。もちろん、この2つだけが現代アートを語り尽くしてしまえるわけではなく、新たな理論を要請している作品は世界中に溢れています。今一度、自身の目で現代アートの作品を見てみてください。新たな理論があなたに発見されるのを待ちわびているかもしれません。