イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真イメージ、それでもなお アウシュヴィッツからもぎ取られた四枚の写真
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン 橋本 一径

平凡社 2006-08-08
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やっと読み終えた。アウシュヴィッツで撮影された4枚の写真が6×6の正方形写真であるということ、これは初めて知ったのだけれど、このことをディディ=ユベルマンに倣って「想像」してみたい。
この4枚の写真は1944年に撮影されたのだが、1944年といえばもうすでにライカが一般的に販売されており、これらの写真はライカで撮影されたかと思いきや、実は35mmではなく6×6判のフィルムであった。ということは、何のカメラが使われていたのか。真っ先に思いつくのは、二眼レフのローライである。ただ、一眼レフで6×6判のものがあったかは調べる必要がある。
ところで、どうしてこの4枚の写真が6×6の正方形写真だと分かったのかというと、コンタクトプリントが残されていたからであるが、ネガのほうは紛失してしまっていて、今はないそうである。このことは、前回書いた「フィルムの話」が関係しているのかもしれない。
なぜ、ポーランドレジスタンスは、6×6判フィルム用のカメラを囚人に渡したのであろうか。収容所という厳しい監視の中で撮影を試みるというのであれば、カメラはなるべく小さいほうが良いと思うのは通常の思考であろう。彼らは「あえて」6×6判を選んだのだろうか。そうだとすると、何のために?ここで、私は想像する。一眼レフを持っている私と、二眼レフを携えている私を。ナチスの将校たちの目を意識しながら、一眼レフを顔の高さに持ってくるのはかなりの勇気が必要である。だからといって、ノーファインダーで撮ることは決してできない。「もう一度」「やり直し」はできないのである。二眼レフをなるべく低い位置にもっていき、下を向きながら構図をあわせる。カメラ本体を自分の顔の真ん前に持ってくるよりはだいぶ気が楽である。これらの想像は全く意味のないものかもしれない。しかし、6×6判の4枚の写真を焼き付けたコンタクトシートが、私達に何かを語りかけているように私には思えてならないのである。