昨日26日は野村仁さんの展覧会に。1960年代、70年代の森山大道中平卓馬ら「Provoke」メンバー以外の写真実践が如何なるものであったのかの一事例としてみるもよし、野村仁その人の「全作品」としてみるもよし。前者の視点に立つならば、1960年代、70年代の写真実践をもっと多くの作家の写真から見てみたい。あるいは、そうした作家の目から見た「Provoke」の写真実践という返しも(まあ、全く気にもとめてなかったということもあるかもね)。『写真空間』でも、ここら辺を特集したら面白いと思うんだけどな。あくまで「写真」という観点から語ることに意味がある。

銀座のINAXギャラリーにて西澤諭志さんの展覧会「−写真/絶景 そこにあるもの−」を観る。以前、写真新世紀(2007年、2008年)でポートフォリオを見ていたので、彼の作品を観るのはこれで3度目。良知暁さんや小山泰介さんの写真作品やトークを見聞きしたこともあって、西澤さんの作品に対してどういう用語を使用することができるのかと考えてみたくなる。会場に置いてあったポートフォリオに「ドキュメンタリーのハードコア」というタイトルが付けられたシリーズがあったけれど、なるほどと思った。それとともに、以前ここの日記でも書いたように、「デマンド以降(ポスト・デマンド)」という言葉を使いたい気持ちは変わらないかな。ただ、もう少し具体的な言葉にできればなお良し。「ドキュメンタリー」と「ノイエ・ザッハリヒカイト」との関係を西澤さんの写真のなかに見てみること。