[映画]
濱口竜介監督の『ソラリス』を観る。
たまたま、カルト・ブランシュというイベントのチラシを見かけたのがきっかけで。
タルコフスキー版は未見、ソダーバーグ版はほぼ記憶無しなので、比較検証とかはできないのですが、濱口版は「自身と分身」の間に第三者が介入したときのディスコミュニケーションをテーマ(のひとつ)にしているのかな。あるいは「分身」は「自身」の持たない「記憶」を持つことができるのか。