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金村 修

オシリス 2001-01
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金村修の写真には、遠近法の消失点がない。電線がある種の遠近法を表しているが、それが画面全体に縦横無尽に広がっているため、消失点が定かになっていないのである。金村の写真は、森山大道荒木経惟の撮る都市の写真とは根本的に違う。森山にしろ荒木にしろ、彼らの写真には遠近法が効果的に使用されている。それはある意味、絵画的な美と呼んでもいいかもしれない。一方、金村の写真にはそうした美はない。すぐ目の前に手すりや看板があっても、構わずに撮影するので、前景のボケた写真が出来上がる。それによって、何か写真の光景そのもの(手すりや看板等)に触れている感覚を与える。手を伸ばせば、その手すりに触れられる感覚。切迫感。臨場感。接写撮影で撮られた花や虫の写真を見ても、別に自分がそれに接近した感じを受けないが、金村の写真では前景のボケにより極近距離にいるように錯覚する。
金村の写真は、荒木の写真のように「エロス」や「タナトス」といった(絵画的?)観念には容易に飛翔しはしない。触れられそうな錯覚にいつまでも。
これから述べることは単なるアナロジーに過ぎないかもしれない。金村の写真の前景のボケで、ふと思い出したのはデュシャンの『遺作』のレンガである。ある種、お互い遮蔽物である。どちらも「今」というものを明るみに出しているような感じがある。もちろん、同じ「今」ではないにしても。