筑豊のこどもたち筑豊のこどもたち
土門 拳

築地書館 1977-07
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土門拳の写真集。この写真集は1960年に出版されたものの新装版である。炭鉱の町の子どもたちを撮影したものだが、こうした風景がまだ半世紀も経っていない昔に存在していたこと、言い換えれば当時はまだ石炭が燃料の戦力として活躍していたということである。だが父親の故郷が福岡の大川市で、毎年のように正月帰っていたが、炭鉱のことなど考えたこともなかった。三池炭鉱で有名な大牟田市大川市の下にあるが、まだ行ったことがない。今回この写真集を取り上げたのも、知ろうとしなかったそうした福岡の姿を見てみようと思ったからである。
町の隅々にまで子どもたちがひしめいている。家々の間隔が異様に狭く、皿を食卓に置く音さえ聞こえそうである。これほどの近さだと、子どもたちも顔を合わさずにはいられないだろう。野球ができるような大きな広場は周りにはありそうもない。そうすると自然と町の中に子どもたちが溢れかえることになる。子どもの泣き声や叫び声があちこちから聞こえてくるようだ。しかし、そうした子どもたちにも暗い影が忍び寄っていた。当時、捨て子、遺児、孤児などが炭鉱街で多く発生していたのである。それは、炭鉱街全体に広がる「終わり」を暗示してもいた。そうした福岡の炭鉱街の裏表を土門拳は包み隠さず写していった。一番最初に皺寄せがくるのが子どもたちのところであることは、土門拳も知っていたであろう。しかし、そうした過酷な状況の中でも子どもたちは笑って毎日を過ごしている。その笑い顔の中に不意に見せる哀しげなのか物憂げなのか何とも区別のつかない表情を土門拳は見逃さない。人間愛という以上に、ある種の冷徹な人間観察がこれらの写真には見受けられる。その一例として、ボタ山で炭拾いをしている子どもの手のクローズアップの写真があるが、この手は子どもの手とは思えないほど薄汚れ、しわくちゃになっている。この手を見れば、子どもたちに何が起こっているのかがはっきりと見てとれるだろう。老人のようなこの手を見れば。