セーヌ左岸の恋セーヌ左岸の恋
Ed van der Elsken 大沢 類

エディシオントレヴィル 2003-02
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エド・ファン・デル・エルスケンの写真集。この写真集を取り上げた、そもそもの理由は、ある日の会話(そこにはほぼリアルタイムで『セーヌ左岸の恋』の流行にその身をおいていた方も同席していた)の中で「なぜエルスケンの写真が当時(1956年に出版されたので、日本では1960年代あたりか)流行したのか」という話題がのぼり、現在の評価(今はそれほどもてはやされているわけではないという意味で)とのギャップが不思議に感じられたからである。
しかし、実際読んでみると、この写真集は退廃的で、閉塞的ではあるが、刹那的な美しさが強くあることに気付かされる。この写真集が60年代の日本の若者にどう映ったのかは、今の私のには感じ取れるべくもない。しかし、安保闘争や学生闘争などの社会的動揺へと向っていく日本の状況の中で、この写真集の放つ「薄暗い生」は衝撃的であったように思う。『セーヌ左岸の恋』の登場人物のどこにも、レ・ミゼラブルに出てくる1830年代の革命に燃える学生達のような明日を夢見る姿はない。当時の日本の若者も革命を夢見る学生達のように明日はきっと良くなると思い描く一方で、明日を期待しない生をも敏感に感じ取っていたのだろうか。しかし、エルスケンの写真集に出てくる人物達の眼は、何か純粋なものも感じ取れてならない。麻薬、酒、煙草に溺れながらも、その眼が放つ純粋さは何なのだろうか。アンが見据えるものは過去、現在、未来、いづれなのであろうか。
写真集の最後のほうにアンを描いたであろうと思われる点描画がこの写真集の中に入っており、異彩を放っている。写真が表すような線描画的なものとは違い、点描画はアンという人間の周り、すなわちアンと外界(世界)との関係をぼやかしている。線というはっきりとした輪郭を持たない存在。それがアンなのである。