人間の記憶って恐ろしい。当時の自分としては結構ショックな出来事であったように思えることでも、今ではその事実を父親から伝えられても全く思い出すことができない、というよりそんなことがあったことすら疑ってしまうくらいになってしまう。今でも、なんとか引きずり出した記憶はかなり損傷が激しくて、いつの頃だったのかも怪しい。でも、あれは確か高校2年だったと思う。父親のほうが記憶が確かだったのも何か変な話だけど。以前書いたけど、うちの高校の文化祭はちょっと特殊で全学年全クラスがミュージカル(あるいは劇)をするところで、九月の第二週にだいたい開催されるのが多いかな。だから、文化祭は二学期に当たるのか。少し話は戻って、高校二年の一学期のときに、二言三言くらいしか話したことのなかった男の子がいて、だから本当にお互い一クラスメイトの関係だったんだけど、その子が多分途中から登校しなくなったんじゃなかったかな。その時期ももう思い出せない。一学期中のいつかは分からないけど、その子が入院したって話を担任の先生からクラスの全員に知らされたんだと思う。それから、夏休みが明けて、文化祭当日にその子が見に来てくれて(これも親に言われてかろうじて思い出したこと。私の父親の隣にその子が座っていたらしい)、おぼろげな記憶では確か帽子をかぶっていたと思う。どこに座っていたのかな。教室の扉がある側の壁付近に座っていたのかな。当時もあの帽子の意味を理解していたかはちょっと分からない。でも、全く知らない世界だったわけでもないと思う。けれど、その子はその文化祭に顔を出しただけで、二学期の授業を受けることはなかった。それから、何回か担任の先生から病院を移ったという話を聞いたんじゃないかな。でも、その子の最期をいつ聞いたかは今記憶を掘り返しても思い出せない。二学期中なのか冬休みを過ぎてなのか。その子の式に私は参列できなかった。その理由が病欠だったのか旅行中だったのかは分からないけれど。忘れていただけで、言われて思い出すなら、まだその子の記憶は私の中にあるのだけれど、何度言われても何度思い出そうとしても、細切れ状態の記憶とも呼べない代物しか出てこない自分に、怒りとも悲しみともつかない何とも形容しがたい感情を憶える。