>bakabonさん
今年もよろしくお願いします。モノクロームに対する、そうした考え方に非常に共感できる一方で、その考え方自体が非常に戦略的に作り出されたものである気もしているのです。何となく感じるところで、報道写真(戦争写真)みたいなもののモノクローム性と、60、70年代のモノクローム性とが結びついているのかなと。「臨場感」なんかは特に。
また、現代のドイツ写真が、「リアリティ」自体を問い直す試みをしているということも原因かもしれません。
私も最終日前日に駆け込みで杉本博司の展覧会見に行きました。彼の作品(とキャプション)を見て、彼にとって重要なのは「撮る」行為ではなく、「考える」行為だと感じました。だから、彼の写真からは、作者の楽しさも悲しさも強迫観念も見えてこないのだと。自分自身、現代アートのニッチを探して写真を撮るみたいなことを試みたことがあって、そのときは考えることのほうが面白くて、写真を撮るのは、あくまで「作業」のような感覚になっていました(作業だからこそ、完璧に仕上げようと感じる)。杉本の写真も、ある種「職人」的なまでに完璧であろうとしているように思います。