雑誌"LA NATURE"から

No279.-5 OCTOBRE 1878
マイブリッジの瞬間写真(を基にした画像)が掲載される一ヶ月前の記事。この記事は、マレーが書いたもの。古代からの馬の脚の描き方も載せていて、用意周到。こういう前フリがあって、下の瞬間写真を見れば、読者はみな納得するかも。この記事の一ヵ月後にマイブリッジの瞬間写真(を基にした画像)が載ったのは、偶然?それとも計画的?

No289.-14 DECEMBRE 1878
写真史の著作には必ず出てくる記事。ちなみに、先ほどわざわざ括弧で書いたのは、写真画像が新聞や雑誌に印刷することができるようになったのが1880年代になってからであり、この記事には正確には写真は印刷されていないから。それ故、この時の読者は瞬間写真そのものは見ておらず、写真を基にして作られた二次制作しか見ていない。

No294.-18 JANVIER 1879
写真史とは関係ないが、シャルコーの実験風景。

No387.-30 OCTOBRE 1880
「photophone」という装置。1880年グラハム・ベルが特許申請したもの。「有線」ではなく、「光」を用いて「無線」でやりとりをしようと試みたものらしい。詳しくは、以下のサイトで。
http://gggzzz.cool.ne.jp/zakkisou/mukasizakkisou/0302zakkisou.html

No448.-31 DECEMBRE 1881
この図版は、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』にも出てきたもの。フェナキスティスコープの大きな図面の方は、「マイブリッジの瞬間写真を基に」という注意書きがなされている。クレーリーはその著書の中で、写真機はカメラ・オブスクーラの幻想を抱いたままでいると表現していたけれど、写真機はちゃっかり運動生理学と結びついて生理学的視覚にも影響を及ぼしていたと見ることもできるんじゃないかな、上の図版からもね。クレーリーの「ずるさ」が見え隠れしているような…。

No464.-22 AVRIL 1882
下にまとめて書きます。

No472.-17 JUIN 1882
瞬間写真が掲載されてから、結構瞬間写真ネタの記事が多く載るようになる。上2つの写真もその流れから。やはり、瞬間写真の驚きは相当なものだったのかな。

No506.-10 FEVRIER 1883
最後に、心霊もの。ネタばらしも含めた記事。他にも手品の記事が載っていたり。それもネタばらし付き。記事のタイトルも「LES SPECTACLES SCIENTIFIQUES  LES SPECTRES VIVANTS」となっていて、当時の読者がこの記事をどう読んでいたか非常に気になるところ。