Art History Versus Aesthetics (The Art Seminar)Art History Versus Aesthetics (The Art Seminar)
James Elkins

Routledge 2005-07-25
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Art History Versus Aesthetics の第1章はダントー以後の美学理論(の紹介)も扱っているので、読んで損はないかも。

抄訳:第1章「美的なるものの境界」 ロバート・ジェロ

 美的なるものの境界は論争の絶えない場である――哲学や美術史の学問分野で活動する理論家が各々守るべき言説の諸領域を占めている。理論的な戦略やそれに対立する戦略はそれぞれの学問分野の範囲内に生じる。両方の学問分野において、理論家は美的なるものの定義を戦わせている。片方においては、理論家は以下のように主張する。芸術作品との美的な出会いは即時的で非推論的な感覚反応と関わりがあり、その反応は絶え間ない熟考のみによって洗練されるのであって、芸術理論、芸術実践、あるいは美術史に関する事実といった対象物からは知覚できない要素に訴えることによってではない、と。これは、美的判断は自律的であるという見方として通常枠付けられる主観的立場である。他方においては、理論と実践は論理的に芸術作品そのものと結びついているので、美的判断にも論理的に結びついているという主張である。この立場によって、美的判断や美術批評における「真偽」の話題にとって一貫した基礎が可能になっている――あるいは少なくとも「良し悪し」の話題にとって。一般的に、理論家は芸術作品との美的な出会いを理論的な特性とは論理的に独立していると見なすか、あるいは必然的にその特性に制限されていると見なすかによって区分される。
 18世紀以来、哲学に所属する学者はこの2極を和解させようとしてきた。1735年に「美学」という用語を最初に紹介したアレクサンダー・バウムガルテンは、その用語を感覚的認識として定義した。詩を論ずるときに、彼は非常に濃密に詰められた心像[形象]と観念の示唆的な氾濫[流出]を伴った感覚的な言説の範疇と、明快で明白な抽象概念のネットワークを伴った知的な言説の範疇とを区別した。1757年には、デイヴィッド・ヒュームは次のように主張した。美的反応は感覚だけでなく理性によっても伝達される[知らされ得る]自発的で主観的な状態である、と。ヒュームは美的反応の本質的に[本来]反省的な構造に訴えることで、このことを支持した。反省が知らされる[伝達される]という可能性は、たとえヒュームが美的判断は感情の主観的報告であって、真偽値に欠けていると主張し続けたとしても、真の批評家と偽の批評家とを分けて叙述する際の根拠となった。ヒュームによれば、「より良い芸術」を対象とする真の批評家は自身の美的反応を訓練させなければならない[訓練に委ねなければならない]。彼ら[真の批評家]は局所を越え出なければ[広域的でなければ]ならず、「様々な国や時代」の芸術作品に精通することでそれぞれの比較をよりよく知らしめなければならない。彼らは個を超越しなければならず、自身の反応を想定される聴衆の視点に照らし合わせなければならない。そして、彼らは分析的でなければならず、理性[理性的判断]を用いて、どれくらい芸術作品がその予測される目的を実現しているか、あるいはどれほど「芸術の規則によって制限されているか、才覚によってまたは観察によって学者に知らされるのか」を判断しなければならない。
 近代に入ってから、戦いの場はカント的なものとなっていった。『判断力批判』(1790)で、カントは近代的な芸術分析における批評用語の大半を実践的に紹介、または発展させてきた――美、崇高、反省的判断、美的鑑賞における知的快楽の存在、美的鑑賞における認識的、創造的要素による「自由な戯れ」の存在、美的判断における既定的な[限定された、確定的な]概念の不在、芸術制作における生産的な[生産力のある]典型[モデル]としての芸術作品の役割、そして芸術家、批評家、他の芸術鑑賞者を訓練する際の「共通感覚」の決定的で統制的な機能。このことにより、全ての現代アートの理論家達はカントとの関係において立場を定めていくものとみなされる。結果として、カント美学を参照することは、第3章「アートセミナー」を読む際に役立つことになるだろう。
 『判断力批判』において、カントは構想力と悟性の「自由な戯れ」の見地から美的判断と芸術制作両方の本質的構造を分析した。これは美なるものの「自由な戯れ」であり、そこでは構想力は尽きることなく形成を繰り返し、悟性は叙述をし続ける。カントにとって、芸術作品とは再現の想像的な一群、「[多数の]部分的な[不完全な]再現の多様性」であり、すなわち彼が「美的概念」と呼ぶ、理性概念の客観的表出(表象)に近付こうと「努力」するものである。理性概念は既定的な[限定された]概念ではなく、人間的経験を超えて在るもの、あるいはその経験の内部にある神秘的で不可避的なものについて考察する、またはどうにかして再現しようとする仕方である。美的概念もまた既定的な[限定された]概念ではない。にも関わらず、美的概念は訓練された[鍛え上げられた]想像的な洞察力同様、認識的な内容も有している。美的鑑賞とは、決してある一つの特権的で概念的な「終結」には至らない不確定で不完全な概念を慰めるものである。カント美学において、こうした思考の活況[隆盛]は固定され限定された思考へと結晶化することを拒むにも関わらず、鑑賞者を満足させるとき、知的な快楽を刺激する。実際カントが主張するには、芸術作品がそうした[心地良く]溢れんばかりの思考を刺激できる理由は、その思考がある特定の既定的な[限定された]概念の境界内に狭く制限されていないからである。美的快楽は悟性と構想力の調和的な戯れであり、それらが共に機能することで意味を組織する。
 カントにとって、そのような自由な戯れは芸術作品が解釈[判断]を要請し回避するある種の複雑な内的論理に従って機能する動的なメカニズムである場合にのみ、可能となる。カントが主張するには、芸術家達はこのメカニズムを他の芸術家の作品から分離し、また引き出すことができる。あるいは、その作品を流用し、また自身の作品において再制作することができる。カントにとって、制作された構造物が純粋に知的で認識的な享楽にとって重要な自由な戯れを生み出さず、維持もしなかった場合、それは芸術作品ではない。結果として、芸術制作は必然的に十分な複合性と十分な開放性とでもって、豊かな一連の思考や常に不定であり続けるのがもっともらしい多様な[一群の]読みを刺激するような作品の創作に関わる。
 カントの著作は美的なるものの様々な説明を進展させるために流用されてきた。幾人かは美的なるものが還元できない唯一の出来事として枠付けられ、既定的な[確定的な、明確な]目的や機能、あるいは美術史的な状況からは切り離されている場合、[それを]知覚できる対象物―自然あるいは人工―の経験として定義する。この説において、美的なるものは知覚的なものに結び付けられている。あらゆる知覚的な対象は美的に見なされうる。例えば、航空機による夜間爆撃や間に合わせの記念聖堂などであるが、あらゆる芸術作品がそうなるわけではない。例えば、パブロ・ピカソの「ゲルニカ」(1937)は美的なるものの範囲に含まれるであろう。しかし、アンディ・ウォーホルの「ブリロボックス」(1964)やポール・マッカーシーの「ボッシー・バーガー」(1991)は含まれない。
 こうした美的なるものの制限された[狭められた]括弧付けは、芸術への啓蒙の規律的な[訓練的な]プロジェクトの適用である。――ユルゲン・ハーバーマスが「それぞれの内的論理に従った客観的な科学、普遍的な道徳性や法、自律的な芸術を発展させる近代のプロジェクト」と呼ぶもの。
 芸術の自律性は様々に見られてきた。それは美的疎外として悲しまれてきたのである。「「美的」としての芸術体験は真実を語る力を失った、あるいは奪われたものとしての芸術体験である…近代は美が奪われた場である」。後に「反‐美学」という用語のもと組織されることになる文化的な立場や諸々の関心は、1950年代後半と1960年台初頭の間に登場し、芸術の印としての美的なるものを攻撃した。それらは「批評の対象」「芸術の本性」「対象そのものを変化」させようとした。

 「反‐美学」はまた、美的なるものの概念そのもの、その概念の結びつき[ネットワーク]がここで問題になっているということを警告している。つまり、美的経験が[目的]もなく、ほとんど歴史を超えて独立して存在しているという考えや、芸術が今や世界を(間)主観的に、具体的に、普遍的にする、すなわちある象徴的な全体を作り出すことができるという考えが問題になっている。(中略)より局地的にいえば、「反−美学」はまた、政治的なものに関わる、(中略)あるいはその土地特有のものに根ざした文化的な形式、すなわち特権的な美的領域があるという考えを否定する形式に敏感であるような、本来的に逆の規律を守るような実践を伝える。
 J.M.バーンスタインの述べるところによれば、芸術を歴史的に問いただそうとする歴史的構造物として芸術作品を見なす芸術理論は、必然的に芸術作品を「非−美的な点で」理解している。他方で、美的なるものは経験するということの転覆した[破壊的な]区域として価値付けられてきた。なぜなら[というのも]、美的なるものは政治的あるいは経済的な交渉を手段として妥協[し解決]されることはないからである。テオドール・アドルノは芸術あるいは「行為の美的なあり方」を次のものと見なす、「批評の蓄積(中略)なぜなら唯一それだけが抑圧的な権威、すなわち(資本主義のもと完成させられた)手段の合理性[道具的合理性]を防ぐことができるからである」。
 芸術作品そのものが美的経験の眼差しのもと生き生きとしたものになったまさにその時に、美的経験はその対象物を経由してのみ、生きた経験となる。(中略)熟考に熟考を重ねて、作品に内在する過程的な質が解放される。この内在的な力学は、ある意味において芸術作品が何であるかについての高度に秩序付けられた要素となる。どちらかと言えば、美的経験が性的経験、まさにその絶頂に似るのはここにおいてである。
 哲学的な美学を修得しよう、あるいは避けようとしている多くの学者が、この美的なるものについての感覚に根差した理解を共有している。アーサー・ダントーが主張するには、ウォーホルの「ブリロ・ボックス」は変則的な芸術作品であり、芸術の基礎となる理論的な次元を暴き、芸術の美学理論を廃棄させようとする。ダントーによれば、「ブリロ・ボックス」は芸術作品の感覚に根差した特性に付随して生じる美的特性が、その作品にとって唯一重要な特性であるとする理論的主張を否定するのである。ダントーは次のように主張する、「美的考察は1960年代後半以降に生み出された芸術には全く適用できない」。
 私にとって、「ブリロ・ボックス」の興味深い特徴は次のようなことである。それは芸術と現実との関係に関する哲学的な問いを流用し(専有し)、「ブリロ・ボックス」へと取り入れるが、実際「ブリロ・ボックス」が芸術であるとしたら、興味をそそるような知覚的な点では「ブリロ・ボックス」と何ら違わないスーパーマーケットのブリロの箱がなぜ芸術ではないのかということを問いに付している。少なくとも、「ブリロ・ボックス」は以下のことを明らかにした。誰ももはや知覚できるような根拠に従って、芸術と現実とを区別しようと考えることはできない。というのも、これらの根拠はすでに取り去られているからである。ある物を芸術にするものは全く目に見えない何かであろう。おそらく、芸術がどのようにして世界にやってきたかということや、ある者が芸術を何であると意図していたかということもまた目に見えない何かであろう。
 ダントーにとって、芸術作品が重要な非知覚的な特性を持つ場合に、芸術は非美的なものとして現れる。それゆえ、芸術を解釈し評価しようとする計画は美的なるものという用語では限定[制限]し得ないと、彼は結論づけたのである。
 反対に[対照的に]、美的なるものは「芸術作品として枠付けられたときに」、排他的にある対象の経験を指し示すものとして定義されてきた。この説明によれば、あらゆる芸術作品、例えば取るに足らない質や非知覚的な質を有するような作品でも美的である一方で、大半の知覚的に区別できる対象物は美的ではない。ティエリー・ド・ドゥーヴは美的なるもののこうした読みを共有している。
 「ここにはいくらかの芸術がある」という文章は芸術の事例を作り出しているのであって、理論の事例ではない。それは感情の事例である。経験とは繰り返すことができないものであり、言わば実験的なものである。それは唯一のものであり、美的とも言えるものである。
 これ[以上のこと]を共有する集団の他の理論家は、知覚的なものの限定的な境界線をはるかに飛び越えて、美的なるものの境界を書き直している。ステファン・デイヴィスは芸術作品としての評価[鑑賞]を必要とするような作品の複雑な意味論的特性全てを美的なものとして捉えている。彼が主張するには、デュシャンの「泉」は「芸術という立場を達成した結果として」、美的な特性を獲得しているので、「彫刻の歴史と技術に言及する」という特性を所有することになる。ノエル・キャロルはこうした「美的なるもの」の使用に対抗して、感覚的なものから意味論的なものまで様々な種類の特性群を扱おうとしている。しかしながら、彼は芸術作品の形式的な特性が美的であることを認め、それらの特性を「作品の要点あるいは目的を実現する選択のアンサンブル」と定義する。結果的に、キャロルはジョン・ケージの「4分33秒」のようなコンセプチュアル・アート作品は、非知覚的な美的特性を有していると結論付ける。
 「4分33秒」に関していえば、その作品の形式は記譜法的な沈黙の選択に決定的に関わっている――ピアニストが入場し、楽譜を開き、何もしない。それにより、明らかに[一見すると]4分33秒続く休止符の中で起こるどんな周囲の音にも注意を向けるように、聴衆に強いている。その作品の要点――ケージの偉大なプロジェクトと人は言うかもしれないが――は、音楽/雑音の一対における音楽の特権的な立場を破壊することであり、聴取者に所与の瞬間に自身の周りを取り囲む音の豊穣さへの注意を喚起するのである。
 キャロルが指摘するには、こうした動きはまたモダニズム的な美学への別の攻撃を必要とする。今までにその演奏に参加したことがなくても、ジョン・ケージの「4分33秒」の芸術的な形式を把握することができると、キャロルは主張する。ここにおいて、キャロルは「面識原理」に対するマルコム・バッドの攻撃を拡張して、単なる美的特性の知識ではなく、美的特性それ自身が直接経験しなくても、信頼に足る記述を基に把握され得ると結論付ける。
 最近では、ジェームズ・シェリーが非推論的知覚として理解される美的知覚についてのフランク・シブリィの概念を利用して、芸術についての新たな美学理論を発展させた。シブリィによれば、美的知覚は美的判断にとって必要不可欠であり、芸術作品との直接的邂逅なしでは不可能である。
 人々は作品の優美さや統一感を「見」、音楽の中の悲壮さ、熱狂を「聴き」、色彩配合の華やかさに注目し、小説の力やその雰囲気、あるいは論調[語調]の不確実性を感じなければならない。人々はすぐにこれらの質に感銘を受けるかもしれないし、繰り返し見、聴き、読んだ後にやっと、それらの質を知覚するかもしれない。そして、また批評家の助けを借りるかもしれない。しかし、人々が自分自身でそれらの質を知覚しない限り、美的享受、美的鑑賞、美的判断は彼らの手には負えない。単に良識ある権威の名のもと、他人から「その音楽は静穏である」「その演劇は感動的である」「その絵画はバランスが悪い」ということを学ぶのは、全く美的価値がない。決定的なことは、見ること、聴くこと、感じることである。美的知覚なしで、とはすなわち、ある種の規則に従うことで美的判断をなすことができるということを支持するのは、美的判断を誤解させることに他ならない。
 シェリーが主張するには、美的経験を支持するためには芸術作品の認知的な内容に注意を向けることで十分である。彼は思考や思想も魅力的でありうると主張する。すなわち、「思考はおそらく感覚的な形式と同様、我々を感動させる。思考は大胆さと機知とで、そして力と美とで我々の心を打つ」。
 優美さや華麗さ、美に負けず劣らず、大胆さや図々しさ、機知が美的であるような、当の問題となっている――シブリィの美的概念――美的概念がある。(中略)[結果として、]トレビの泉や「モナリザラウシェンバーグが消したデ・クーニングのドローイングに負けず劣らず、「泉」や「L.H.OO.Q」、「消されたデ・クーニングのドローイング」が美的であるような美的概念がある。
 この説明によれば、美的特性は知覚的特性に依存するのと同様に、芸術作品の意味論的な特性にも依存している。結果として、全ての芸術作品は美的であり、意義のある認知的内容と無関係な知覚的特性とを有した非知覚的な作品でさえも美的ということになる。興味深いことに、シェリーはこうした動きが正当にも芸術の「美学」理論と名付けられると主張する。というのも、この動きはシェリーが「現代美学の基礎的な文献」と述べる著作『美、秩序、調和、デザインに関わる考察』(1725年)中における、フランシス・ハッチソンの美的なるものの扱いと同一線上にあるからである。その著作において、ハッチソンは美の概念を「内的」あるいは「精神的」意味によって受け取られるような「内的感覚」あるいは「精神的感覚」として分析する。ハッチソンはまた、「力強いが経済的」な定理がその美でもって我々の心を打つという主張を十分に擁護する。
 前述のことは第3章「アート・セミナー」に続く議論の規定を枠付ける手助けをする概要として提供される。美術史内部では、美術史が美的判断を制限しているのか、あるいは美的判断によって制限されているのかどうかの、様々に異なる説明がある。ある一方の理論家の主張によれば、美術史家は作品内の要素の美的重要性を探求することにより、芸術作品における生き生きとした様式的な要素を一対一対応させている。他方の理論家はより力強い主張を述べている。作品内の様式的な要素の美的重要性がまず決定されない限り、芸術作品の様式的要素や構成要素は接合されない[明確に表され得ない]。
 疑いようもなく、画家アングルは定規を使用することなく、見事な線を描く。しかし、定規を用いない線の使用がバーネット・ニューマンの欠くことのできない様式的な要素である一方で、それをアングルと結びつけて言及することはしない。これはなぜか。それは、ニューマンが特別な形式的効果を念頭に置いて、定規を用いない線を導入したからである。この形式的な効果はニューマンのキャンバスの美的重要性の大部分を構成している。おそらく、アングルは定規の使用などこれまで考えもしなかっただろう。アングルの定規を用いない線の使用には、何ら美的に意義のある選択は関わっていなかったのである。
 対照的に、他の学者が主張するところによれば、まず芸術作品の歴史を決定し、美術史の中で特定の立場を得なければ、美的評価は不可能である。アーウィンパノフスキーはおそらくその傑出した例であろう。
 しかし、我々はほんの数秒で、ほとんど自動的に[美的]質を掴み取るからといって、いわば作品の歴史的「位置」を区分することなく、芸術作品の正確な前図像学的記述[描写]を与えることができるということを信じることにはならない。我々は実践的な経験を基礎とした動機を純粋で率直なものとみなしていると信じている一方で、実際にはある法則に従って「我々が見るもの」を読み取っているのである。その法則において、対象や事柄は様々に変化する歴史的条件のもと、形をとって表されるのである。我々は実践的な経験を様式史とでも呼べるような訂正した原理に従わせる[委ねる]。
 ケンダル・ウォルトンはこの主張を更に強める。彼にとって、芸術作品の創作に関する歴史的事実は芸術作品の美的特性を決定するのに必要不可欠である。芸術家の意図や、その芸術家(印象主義絵画や12音音楽など)の所属するアートワールド内での特定の「すでに確立し、広く知られた」芸術制作のカテゴリーの存在といった事実が前もって決定されている限りにおいて、美的評価は可能である。
 我々はおそらく、どれほど集中的に知的に[芸術作品を]眺めようとも、その作品が一貫性があるのか、あるいは静穏であるのか、はたまたダイナミックであるのかを見分けることはできないであろう。というのも、眺めるだけでは、その作品がある彫刻として、あるいは「ゲルニカ」として、またはある他の異国あるいは宇宙のほうの芸術作品として見られているかどうかを区別できないからである(我々は自然の対象に対してするように、芸術作品に対しても美的特性があると考える。もちろん、自然の対象の場合は芸術家や芸術家の所属する社会に関する歴史的事実の考察とは関係がないのだが。しかし、以上のことをしたとしても、対象を芸術作品として扱うことにはならないだろう)。(中略)起源―すなわち、知覚的に区別できない―の点においてのみ異なる2つの作品のうち、片方は一貫のある、あるいは静穏であるのに対し、他方はそうではない。
 さらに他の学者は、美術批評の実践が一般的には特定の芸術作品の美的判断を拘束していると捉えている。デニス・ダットンが示すには、芸術家の創造的に実現された意図は、詩作品の「語彙、文法、統語法、慣習、連想や言語の歴史の背景」を含む「権限を与える」あるいは「統制する[調整する]」背景条件を困難にさせる[紛糾させる]。この動きは、「あからさまに」芸術作品のデザインに加わる一定の背景条件とそうではない条件との間を区別できないという理由で攻撃されている。
 もしも、ある特定の芸術作品の制作を取り巻く背景条件が最も幅広い意味で読み取られたならば、その芸術作品はある特定の社会史的な文脈や言説の簡潔な表象となる。その支配的な機能は文化的な時空間の解明された[解釈された]瞬間となるだろう。ここにおいて、美術史と美学の特殊性は制度的な表れの概説のなかで消滅する。ジャック・ランシエールの観察によれば、芸術作品は美的表れとして枠付けられる、まさにその行為のただ中で、美術館によって歴史化される。
 我々の美術館は美術の純粋な標本を展示しはしない。美術館は歴史化された芸術を展示するのである。ジョットとマサッチオとの間に位置するフラ・アンジェリコ。それはフィレンツェの高貴な荘厳さと宗教的な熱情を枠付けている。ハルスとフェルメールとの間に位置するレンブラント。それはドイツ国内の市民生活やブルジョワジーの繁栄などを特徴付ける。美術館は芸術の時空間を、そしてそれと同じ数だけの観念の具体化の瞬間を展示する。
 ランシエールによれば、芸術制作はもはや「内的規範に従属」しない。ジャンルの階層、主題に対する表現の妥当性、諸芸術間の一致[調和]等々。今や、「あらゆるものが異質で知覚不能なるものの役割を演じる」ことができる。ランシエールが主張するには、生の形式、すなわち彼が「諸形式の精神の構想」と呼ぶものとしての芸術対象の他律性の、こうしたロマン主義的な構造は実際のところ、美的経験の特性を芸術対象に投影するが、その対象が非芸術であるという条件においてのみ逆説的に対象を芸術として認知するような経験のある様式の構造である。ランシエールは、最近の美学制度が芸術と生を透過可能なものと見なすロマン主義的な詩学を通して機能していると主張する。結局、芸術における形式主義と芸術における規範性の両者は打倒されるのである。
 第3章「アートセミナー」と第4章「評価」では、美的なるものに関する幅広い意見が明らかになる。ある学者は歴史的に制限された[境界付けられた]規範に賛意を述べて、美術批評における美的なるものの役割を拒否する。他の者は美的なるものを歴史的なものと両立可能な概念へと再設計し、送り返す。さらに他の者は美術史と美学との間のどんな合流をも拒否する憶説から始める。このことは、ここで私が考察している文学をも含みこんだ、美学と歴史両方を包含する主張の外部に、その憶説を配置する。要するに、これらの配置は概念的な可能性のスペクトラムの大部分を含んでいる。一つの学問分野として考察されている美術史の大半の用語は、私が概要を述べたような根本的な問題によって決定されはしないものの、少なくとも影響は受けている。これらの問題に対して自身の立場を素描することで、この序文を締めたい。
カント的な美学理論は依然として、「非美的」として分類される現代の芸術作品のカテゴリーにも適用できると私は信じている。カントの形式主義の読みはポストモダン的な芸術実践と芸術鑑賞との必須の結びつきを示している。クレメント・グリンバーグに「対して」、カントの美的干渉の説明は狭義の意味で形式主義的ではない。それとは違う結論付けをすることは、ある種の知的な戯れとしての芸術制作というカントの説明を無視することになる。「自由による、すなわちその行動の基礎に理性を置いた意志の働きによる制作」。
 ある作品を芸術として見るということは、相互作用の変わりゆく段階を享受するということである。芸術家が如何にして心象、音、文化的イコン、見出されたオブジェ、時には別の芸術家の作品でさえも豊穣な意味を有する概念を表現する新たな表象へと融合させるかを見るということ。芸術家の媒体の選択と取り扱いが、如何にして媒体の取り扱いの美術史的な記録と合致するかを見ること。芸術家の作品が、その芸術家あるいは歴史上の他の芸術家のより以前の作品に対して如何にして位置付けられるかを見ること。芸術家の作品が他の学問分野と生の社会的次元との関係で如何に機能するかを見ること。ロザリンド・クラウスによれば、モダニズム的視点から「折衷主義的」と見なされる芸術実践はポストモダン的視点からは「厳密に論理的」と見なされ得る。
 ポストモダニズムの状況内では、実践は所与の媒体――彫刻――との関係で定義されるのではなく、むしろ文化的用語の論理的操作との関係で定義される。そうした文化的用語にとって、どんな媒体――写真、本、壁に描かれた線、鏡、あるいは彫刻そのもの――も使用されるのである。
 結びにかえて――主題の複雑さと本説明の短さを考えれば、未熟であろうが――美的なるものの別の理論を進展させてみたい。私の提示するモデルはこのエッセイで議論になっていた何人かの理論家によって進められた理論的動きを結び合わせ、拡張するものである。
 1.シブリィ/シェリーの動き:芸術作品の特性が美的とみなされる際は必ず、よく鍛えられ、感覚力のある観察者の内部に非推論的な判断が生み出される。私はこの理論を拡張する。非推論的な判断が生み出すためには実際に見るだけで十分であるとしたら、芸術作品のどの特性も美的とみなされる。
 2.デイヴィスの動き:美的特性は単なる感覚的な特性ではない。美的特性は「彫刻の歴史や技術に言及する」といったような美術史的に指し示された特性をも含む。私はこの主張を狭め、かつ広げたい。第一に、知覚的/感覚的経験を生み出す、作品の美術史的な記述のみが芸術作品の美的特性としてみなされる。第二に、美術史的記述はときに新たな特性、更には新たな作品をも生み出し得る。
 3.キャロルの動き:芸術的な形式はある特定の目的と要点を実現する選択群である。私はこの主張を拡張したい。いくつかの芸術作品は戦略的な構造物である。そのような芸術作品は戦略的に理論を利用するので、他の芸術作品や芸術内部の理論的傾倒[言質]や理論的運動の美的特性の生み出し方について知識がある観察者によってのみ「見られ」得る。
 要は、以上のことは美的なるものを定義する有望な仕方であるように思われる。というのも、その仕方は理論のスペクトルによって、そして一般には美的分析を台無しにし紛糾させるような一群の現代の芸術作品との出会いによって、知らされるからである。ここで、私はアドルノに従ってみたい。
 芸術の具体的な歴史的状況は具体的な要求を示す。美学はこうした要求から始まる。その要求を通してのみ、芸術とは何であるかについてある視点が見えてくる。ここでの方法の原理とは、富裕階級にとっては何も変わらないことを心底好むような、歴史主義と文献学の慣習に従った古い芸術作品よりもむしろ、最近の芸術作品の有利な位置から全ての芸術に光が当てられるべきである。もしも、新しいものの中の最上のものが古い要求に適うというヴァレリーの理論が正しいとしたら、そのとき最も正統的な作品は過去の作品の批評となる。しかし、これは反動的な力を有しており、その力によってのみ一般的な美学が希望として、そしてまがい物として提供したものを期待[要求]することができる。