久しぶりにoff the galleryの文章、更新しました。
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/RE/shirabe/shirabe07.html
http://www.pg-web.net/off_the_gallery/RE/shirabe/shirabe08.html
もし宜しければ。

それと、Tokyo Art Beatのレビューも。
川内倫子さんの写真展「Semear」について、書きました。
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2008/05/kawauchi-semear.html
こちらもどうぞ。


追伸
n-291さんからTABレビューに関して、ご批判をいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/n-291/20080507
写真家の方からのご意見は非常に貴重なので(フォーマット論は写真実践と写真鑑賞の両方に関わるため)、もっと論じ合えればと思っています。ただ1つ、確証を得ていない情報(横長のトリミング)を書いてしまったのは無責任だったと思います。すみませんでした。ご指摘ありがとうございます。


追追伸
上記の点に関して、川内倫子さんの写真展レビューを訂正しました。正式には35mmの写真になります。
私は今回、長方形フォーマットの写真は「正方形」の逆説的強調になっていると判断しましたが、これに関してはもっと分析が必要かと思いました。「正方形のなかの長方形」ということでもう一度考え直さなければなりません。『花火』『うたたね』『Cui Cui』『the eyes, the ears,』『AILA』『SEMEAR』のどれも長方形写真の入り方が様々で(正方形写真のほうも上下左右に余白を入れるか入れないかがあったり)、『SEMEAR』では特に長方形の写真と正方形の写真が量的にさほど変わらないほどになっています。ざっと過去の写真集を眺めてみると、だんだん長方形写真が場を占めていくという感じがします。『うたたね』は正方形写真オンリーで、しかも上下左右の余白が全て一定。それに対し、『花火』は長方形写真が合間に入り込むかたちで、更に上下左右の余白の取り方が複数存在。『花火』でなされていた長方形写真と正方形写真を横に並べるというレイアウトは、他の写真集ではあまり見られなくなった気がします(『Cui Cui』にはありました)。印象ですが、『花火』においては長方形写真は単調になりかねない正方形写真の並びにアクセントをつける役目があったのかなと。それ以降の写真集も今後分析してみます。
それと、「死」について。川内さんの写真がベルメールやウィトキンの写真などのような「死の劇的演出」(「死」を特別視すること)の連想とは異なるところにいるという確信はあるのですが、レビューで用いた「挫折」という言葉でそれを分析し得たかどうかは怪しいです。「死の劇的演出」を挫折させたとは言えそうですが、死そのものへのアプローチがどうなっているかについては挫折という言葉では何ら説明していません。『Cui Cui』における「死」は?『うたたね』における「死」は?『AILA』における「死」は?
今回のことは反省。川内倫子論を今後きっちりとやるということで、返していければ。