「映画と写真」no.4

I Love ペッカー [DVD]I Love ペッカー [DVD]

日本ヘラルド映画(PCH) 2000-06-07
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ジョン・ウォーターズ監督の『I LOVE ペッカー』(1998)を観る。ジャケット画像を見ても分かるように、フォトグラファーの話。ひとりの少年がアーティスト(フォトグラファー)に駆け上がっていく映画。だが、今回の観点から言えば、メインは写真作品でも写真家でもなく写真界である。
映画の冒頭から、主人公のペッカーはボルティモアの住人を次々にスナップしていく。それでも多くの人々は嫌がる素振りも見せず、逆に進んでポーズをつけてくれる。被写体になるのを楽しんでいるようにさえみえる。それに対し、ニューヨークでは、ペッカーがギャラリーに来ている批評家やコレクター、キュレーターの写真を撮ろうとすると嫌がったり、ギャラリストが撮影を制止しようとする。ボルティモアの住人やペッカーの家族に関しては、どんな悲劇が起ころうとも主人公に撮影を勧めるのに、である。
ここには一方的な視線が存在する。
ニューヨーク→ボルティモア
見る       見られる
撮らせず    撮られる
しかし、ペッカーが有名になること(=ボルティモアの住人の写真が新聞や雑誌に掲載されること)によって、ボルティモアの住人は一方的な視線の存在を知ってしまう。ペッカーが撮影しようとすると嫌がったり、邪魔者扱いしたりするようになるのである。
ボルティモアで作家活動を続けることを決心したペッカーは、ニューヨークの写真界に「仕返し」をする。それは一方的な視線の逆転である。彼はボルティモアで写真展を開催するのだが、その際ニューヨークの写真界の人々を被写体にしたのである。そのことを知らない彼らは、ペッカーの新作を観れるということで大挙して写真展におしかけるが、自分たちが「見られる」存在になっていることに大いに戸惑う。ペッカーの仕返しは大成功したわけである。
ちなみに、この映画にはシンディ・シャーマンとグレッグ・ゴーマンが本人役で出ている。特に、シャーマンは主人公の祖母が持っている腹話術人形型のマリア像をじっと見つめていたり、主人公の妹がぐちゃぐちゃにしたサラダを一瞥したりするなど、彼女の写真シリーズを知っていればにやりとするような演出が施されている。ただ、先ほどの二ューヨーク→ボルティモアの一方向的関係を考慮すると、これもひとつの「搾取」と見えなくもない。ウォーターズの意図には反しているだろうが。