蔵前にある空蓮房にてリー・フリードランダー展「Mirror to Window」を観る。フリードランダーの伏し目や流し目がみれる。今回は出てないが、半目もある。探せば白目もあるかも。フリードランダーの最近のセルフ・ポートレートは、「目」のヴァリエーションとしても面白いのかもしれない。
それから、表参道へ。ラットホール・ギャラリーの荒木経惟展「センチメンタルな旅 春の旅」を観る。前半はチロが途中で子猫に戻ったかのような表情を見せる写真もあるが、後半はその表情とは全く異なる激しく全身で叫ぶような表情をみせる写真が続く。
表参道画廊の隼田大輔展「うばたま」を観る。前作を見ていることもあって、今作の方向性がいまいち理解できなかった。一瞥してミニチュア写真風に撮影されていることが分かるのだが、ミニチュア風にする意図が私には解らない。前作では闇と月明かりの微妙なあわい(見えるか見えないかぎりぎりの境)に目で触れることが目的のひとつだと理解していたが、それが今作のミニチュア風の撮影技法によって発展的に消化されたとは思えない。前作と全く関係ないのであれば、タイトルを変えるべきだと思うし、タイトルを変えたとしてもなお、今作はシリーズと言えるほどの「内容」があったかどうかは少々疑問である。ミニチュア風にして「何を」したいか。ちなみに、今作を観たときにふと、「何かがあったがそれがすべて消え去ってしまった後の事後写真」というイメージが思い浮かんだ。