第7回シセイドウアートエッグ展「川村麻純展」@資生堂ギャラリー


オープニングと12日に観る。
《Mirror Portraits》(母娘)と《Mirror Portraits》(姉妹)は、その名にあるように姿見に似た縦長のフォーマットで映写されている。


《Mirror Portraits》(母娘)は対面する二面の壁にそれぞれ一人佇む母娘の座像の映像を数組にわたって流しており、映写スペースには座席が16席用意され、それぞれにヘッドフォンが置かれている。ヘッドフォンからは母と娘から聞き取ったインタビューの内容を代声する「声優」の声(3人ほどか?)が聞こえてくるが、16席全てが同じ内容を流しているわけではなく、2つのヴァージョンが混在している。


声優を利用することによって、声にあらわれる年齢を消し去り、今流れている音声が母と娘どちらのものか分からなくするだけでなく、2つのヴァージョンが混在することで、隣に座る観客が自分と同じ映像を観ていても、同じインタビュー内容を聞いているとは限らない可能性がある。観客のあいだで映像と音声が紡ぎだす母娘の関係が全く異なることもあるわけだ。


《Mirror Portraits》(姉妹)も映像スペースにヘッドフォンを置き、声優を使用している。《Mirror Portraits》(母娘)の影響もあり、最初は映し出されている女性とヘッドフォンから聞こえてくるインタビュー内容が同一人物なのかどうかもよく分からない。というのも、殆どの姉妹は年齢が近く、どちらが姉か妹か判断し辛いからである。


そうしたなかで、比較的年の離れた姉妹が登場することで、やっと姉の映像には妹のインタビュー内容を、妹の映像には姉のインタビュー内容を代声しているのだろうということが分かる(「母娘や姉妹の関係が実はフェイクだった」や「インタビューを姉妹の組ごとに入れ替える」といったことをするような展示ではないだろう)。


ふたつの《Mirror Portraits》は、声に宿る様々な情報を一旦捨象し、代声を発させることで、母娘と姉妹の個別的な存在ではなく両者の関係そのものに焦点を当てようとしている。しかも、母娘の場合は2つのヴァージョンを用意することで、単なる抽象化されたひとつの母娘の関係ということではなく、観客によって異なる母娘の関係を想起させようとしている(受け取り方次第ではなく、システムで人それぞれに起こさせる)。


最後に、《Mirror Portraits》(母娘)では、聾者の母娘が登場しているが(これは片方のバージョンでしか言明されていないので、実際に気付かない人もいるだろう)、会場では聴覚障害者用にiPadが用意されており、文字テキスト化された音声を読むことができる。会場で少し見せてもらったが、川村の試みの根本的な部分とも関わっており、表現と聴覚障害をめぐる難しい問題が横たわっていると言える。


だが、それは川村が言葉(声、文字)とイメージをここまで細心の注意を払いながら扱うからこそのことであり、言葉とイメージが母娘や姉妹の関係をどのように呼び起させるのか是非会場で味わっていただきたいと思う。