フィルムの話。
日本では写真屋さんでプリントを受け取るとき、ネガフィルムもしっかり受け取るけれど、欧米ではプリントを受け取るとき、フィルムはその場で棄ててしまうらしい。というよりも、そもそも撮影者の手にすら届いていなかったかもしれない。確かに、イーストマン社が1888年に発売したコダックカメラは、撮影し終わったら、イーストマン社にカメラごと送り、再度ロールフィルムが装填されて戻ってくるというシステムだったのは有名な話。だけど、その後が問題で、手許に戻ってくるのは、新しいロールフィルムが装填されたカメラとプリントで、どうやらネガは返ってこなかったらしい(http://www.jcii-cameramuseum.jp/museum/special-exhibition/20040330.htmlの「ザ・コダック」参照)。プリントが最終形態という認識があるのかな。だから、欧米では「print to print」の技術が発達したんだと。
そう考えると、ヴェンヤミンが「複製技術時代の芸術作品」で想定していた「複製」というのは、「negafilm to print」だったのか「print to print」だったのか、どっちだったのだろう。あるいは、「複製技術時代の芸術作品」を読んだ人々は、どちらを想定したのだろう。
と、このフィルムの話は、富士フィルムの方から聞いたお話。じゃあ、なんで日本人はネガフィルムを大切に保管するんだ?という話もしたけれど、それはまだ考える余地がたくさん残されているので、また稿を改めるということで。最後に、私は「35mmフィルムを現像するとき、何も写っていない最初の2、3コマもなぜか捨てずにネガシートに入れてしまうんですよね」と言ったら、その方は「君、古いタイプだねえ」と。でも、この感覚は自分が写真に何らかの形で関わることになる上での根幹になる気がしてならないんです。その方とは別れ際に固い握手を交わしました(と、少なくとも私は思っています)。