修士論文提出致しました。今まで日記・コメント等滞ってしまって、すみませんでした。特に、more bakaboneさんには長らく返事をしてなくて、申し訳ございませんでした。もう一度、整理し直してコメント等していきたいと思います。もう少しだけ、お待ちを。
http://d.hatena.ne.jp/BunMay/20061202の日記は写真新世紀に対する感想を書いたもので、その日記に某写真新世紀に展示なされた方(氏名は今のところ伏せたほうが無難かな)からのコメントが12月11日に付けられていたのですが、今見たら削除なさってしまったようです(はてなの障害の可能性も考えられるのかな?)。コメントの返事は考えていたのですが、元のコメントが削除されている場合は流石に返答のコメントをここに載せるのはまずいですよね(どの方か特定できてしまうし)。もし、再度掲載していただけるのであれば、是非再コメントお願いします。
私自身の感想の書き方がブレてるのは反省材料ですね。徹頭徹尾、批評のスタンスで書くべきでした。「感想」ではやっぱりいけない。

http://d.hatena.ne.jp/Arata/20061206のほうで、http://d.hatena.ne.jp/BunMay/20061203の「ビエンナーレ」問題を扱ってくれました。

site-specificは意味のレベルに拡張され理解されている気がする。その土地が持つ歴史的文化的な背景と、その土地に展示された作品の持つ性質との間の関係性が説得力のあるものかどうかを見極めようとする態度である。

「site」という単語に非常に多くの要素が担わされていることは確かな気がする。例えば、仮に「長崎ビエンナーレ」なるものを開くことになるとしたら、「原爆」(あるいは「切支丹」「鎖国」も?)は必ずテーマに入ってこざるを得ない。でもこれって、(site-specificでは決してなくて)specific siteじゃない?ある強固な意味を有したsiteが一方的に作品を限定化させている気がする。

果たしてsite-specificという枠組みがビエンナーレを考える際の枠組みとして適切なものなのか。

少なくとも、現状ではビエンナーレ全てに通底するものではなさそうだよね。なぜ、同じ土地で何年かおきに開催するのかということを、もう一度問い直すべきなのかもね。今の乱立状況を考えると。