photographers' galleryで番外編講座。
セビリアビエンナーレシンガポールビエンナーレを観に行った新聞記者さんのお話。
site-specificなものであるはずのビエンナーレが結局ホワイトキューブの拡大版みたいになって、置き換え可能な作品ばかりが乱立するようになった、という感じかな。
セビリアビエンナーレは、ある種そうした拡大版ホワイトキューブを破壊するような力を有していたと新聞記者さんは見ている模様。
でも、笠原さんがその場で指摘していたように、セビリアの展示は美術館でやる企画展と殆ど大差ないと思う。セビリアという土地がカトリックイスラムの両方に関係があるという土地柄は確かに、展示に大きく影響している(after 9/11がテーマの一つになっている)と思うが、それはセビリアでしかできないものなのかどうかはまだよく分からない。宗教が混交している土地であれば、どこでも置き換え可能なのかどうか。
そもそも、site-specificなアートって可能なの?ということが気になる。公共空間使えばsite-specificになるとというもんでもないし。「site」自体がホワイトキューブ化しているとも言えるのかもしれない。シンガポールの中心地と東京の中心地とそれほど大きくかけ離れているのか。妻有のトリエンナーレは、そうしたホワイトキューブ化された都市を避けるために新潟という土地を選んだのかもしれないね。でも、それにしても本当にsite-specificになっているかどうかは考えるべきことだと思う。