以前、ディディ=ユベルマンの『イメージ、それでもなお』における4枚の「正方形」写真について書いたが、そのときは一眼レフカメラ(上から覗く形ではなく、正面を向いてファインダーを覗くような形のカメラ)だったのか、あるいは二眼レフカメラだったのかということは回避していた。その後に、「写真工業 2002.12 特集:66判を見直す」という雑誌を運良く手に入れたので、それを参照してみたい。
小池恒裕さんの「66判のカメラスタイル」によれば、私達が普段親しんでいる形に近いカメラ(正面を向いてファインダーを覗く形状)として、1935年にドイツのツァイスイコン社から「スーパーイコンタB」(120フィルム11枚撮)が発売されている。年代的にみれば、この機種が収容所での撮影に使われていた可能性もある。つまり、正面を向いてファインダーを覗くタイプも上からファインダーを覗くタイプもどちらも可能性があったということになる。
しかし、前者のタイプのカメラであろうと後者のタイプのカメラであろうと、危険な場所での撮影をするのに35mmカメラではなく、66判カメラを使うのは一体何なのであろうか。カメラが大きければ大きいほど見つかるリスクは高くなる。その危険を冒してまで、66判にこだわる理由はあったのだろうか。あるいは、あったとしたら、何だったのだろうか。レジスタンスのメンバーがたまたま持っていたのが、66判のカメラだったのか。より小さい35mmカメラに買い換えようとは思わなかったのだろうか。それとも、レジスタンスのメンバーもまた収容所での凄惨な出来事に対して「疑心暗鬼」であって、それほど危機的な状況だという認識ではなかったということなのか。
ディディ=ユベルマンがプリントを注意深く見ることで何かを読み取ったように、私もフィルムのサイズから何が読み取れるのか、今後も試していきたい。