本文のほうでコメントしたいと思います。
id:akfさん
コメントありがとうございます。林さんの講座を2回聞いた段階での理解ですが、どうやらコンセプチュアル・アートに頻繁に見られる数理的思考(例えば、フィボナッチ数列の順番に機械的に増えていく対象物など。彼はこれを「非イメージとしての概念」と呼ぶ。)を中心的な問題として扱っているようで、「インストラクション」とはこの場合「この数列に従って配置せよ」のような、それ自身は空虚なもの(その指令に従って作品制作することで初めて実在するようなこと)ということになります。その場合における写真の役目に関しては、第2回PG講座の感想として後日書こうと思います。まだ、微妙に整理しきれていないので…。
林さんの講座に関して、コメントを寄せているブログをいくつかみつけましたので、そちらのほうも参考にしていただければ。私のコメントがいささか偏っている可能性も十分考えられるので。
http://d.hatena.ne.jp/Sais/20070129
http://d.hatena.ne.jp/eyck/20070129

>B.Kさん
私もその冊子手に入れて読みましたよ。実は、寄稿している北島さんという方は、photographers' galleryでいつもお世話になっている方なんです。こういう図像分析の手法は今まさに自分がやろうとしていることに直結しているので、非常に興味深く読みました。なので、お薦めです。

>良知暁さん
こちらでは、はじめまして。イギリスで勉強なさっているんですね。akfさんのご指摘にもありましたが、やはりベッヒャー夫妻はコンセプチュアル・アートとして一般的に理解されているんですね。これは当時の展示意図・方法とか調べる必要ありそうですね。ベッヒャー夫妻は最初から、グリッド状に並べることを意識していたのか、あるいは展覧会側の要請だったのか…。
紹介していただいた本、今所属している研究室にありました。アマゾンではとんでもない値段ついていたので半ば諦めていたのですが、一安心です。早速読んでみたいとおもいます。ルーシー・リパードも寄稿していますね。
おそらく、ベッヒャー夫妻が念頭においているのは、カール・ブロスフェルトやアルベルト・レンガー=パッチュの写真ではないでしょうか。1970年代のドイツ写真の(アメリカ側の)受容は非常に面白い要素が出てくる可能性がありますね。私自身は、今19世紀から20世紀初頭のドイツ写真の理論的動向を追おうかと考え中です。
ちょっとお聞きしたいことがあるのですが…。修士論文で19世紀イギリスにおけるピクトリアリズム写真を扱っていて、当時の写真雑誌を探していたのですが、イギリスの大学の図書館に british journal of photography の古い号など置いていたりしますでしょうか。日本には1882年以降の号はあるのですが、それ以前(特に1950年年代から1970年代)の号が無くて…。一応、イギリスの大学の図書館のいくつかは検索していたですが、芳しい結果は出ず泣。どの図書館が写真に強いとかの予備知識が全くないので、もしご存知でしたらと思って。

>bakaboneさん
「写真の「無意志的記憶=無意識的記憶」(ヴァルター・ベンヤミン)をあぶり出す、(恐らく)前例のない試み」。これには考えが及びませんでした。この考えには、厳密にはクリスティーネさんの「死の予感」を探すということは前提にされていないというのが重要かと。私は少し答えを急ぎすぎたのかもしれませんね。


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Ann Goldstein Anne Rorimer

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紹介のあった本。