昨日、ひとつぼ展の公開二次審査会に行ってきました。実は、行くの初めて。実際見た感想はというと、問題だらけ。
第一に、28回もやっておきながら、未だに「完成度を競う審査」なのか「写真の新たな可能性を見出す審査」なのか「現在の写真界へのアンチテーゼとなる写真を送り込む審査」なのかを冒頭で問題にするところ。じゃあ、どの方向性で一次審査したの?と問いたくなる。この問題点が、後の審査でも大きく響いてくるんだけれども。
第二に、展示された「物」で判断するのか「アイデア」で判断するのか、そこも非常にルーズ。浦田貴子さんの作品は、アイデアとしては確かに面白いかもしれないけれど、展示されている作品は画像の解像度の点で明らかに失敗している。それなのに、アイデアが面白いということで票を与えるのには理解に苦しむ。アイデアは失敗ではないかもしれない。でも、アイデアの伝え方(つまり物としての写真)は明らかに失敗している。また、最終審査に残っていた浅田友紀さんの作品は7、8点あるうち、まともに見れるのは2点ほどしかなかった。これも最終に残るほどの展示ではないと思う。かといって、アイデア重視かというと、グランプリを受賞した原大門さんの作品を評するときにはプリントの質の高さを挙げていたりする。
第三に、これはグランプリを決める際の手続きがあまりにも一貫性を欠いていたことを挙げたい。最終審査には浅田友紀さんと金田なお子さん、原大門さんが残って、結局グランプリは原大門さんに決まったのだけれど、この一連の流れがどうもぎくしゃくしていた。それは結局、浅田政志さんをどう扱うかというところで、変にこじれてしまった感がある。浅田政志さんの作品が完成度が非常に高いせいで、逆に選ばなくてもよいという流れになってしまったこと。ここで、最初に挙げた問題が関わってくるのだけれど、審査会の流れでは「完成度を競う審査」ではなく、「写真の新たな可能性を見出す審査」であるとして浅田政志さんを落とし、浅田友紀さんと金田なお子さんを最終審査に残すことに決定した。このとき、なぜか浅田政志さんと撮影手法が似ていた原大門さんには話が及ばず、彼も最終審査に残った。そこで、写真の新たな可能性を見出す審査として方向が定まったかに見えた議論が、なぜか作品の構成力云々を評価するようになって、原大門さんにグランプリが決まるという、審査方針の無軌道さが目立った審査会になってしまったように思われる。
はっきり言えば、原大門さんの作品は「完成度を競う審査」においては、浅田政志さんの作品の完成度には及ばないし、「写真の新たな可能性を見出す審査」においては、格段に新鮮さを持つような作品ではない(私個人は浅田友紀さんや金田なお子さんの作品が取り立てて新たな可能性があるとも思えないのだが)。どっちつかずの作品であったが故に、つまりはどっちにも平均的な作品であったが故に受賞したという印象しか受けない。
結局、どの方向性で審査を行なうかが明確でないが故に、二転三転してしまっていた。例えば、「新たな写真の可能性を見出す審査」の方向性できっちりいくのであれば、浅田政志さんの作品は写真界である程度マジョリティになっているステージド・フォトの流れに位置し、新鮮さはそれほどないとして一次審査の段階で切ることもできたはずである(今回の審査会を見る限り、そうしたほうが良かったと思う)。どうにも、腑に落ちない審査会であった。