第20回 photographers' gallery講座

「写真のドラマトゥルギー
講師:佐藤守弘・中村史子・橋本一径・前川修
2007年9月30日(日)
第一部 13:00〜/第二部 16:00〜
一日通し券:3,000円/各回:2,000円
各回定員:25名


第一部(13:00〜)
佐藤守弘「旅の写真・写真の旅――横浜写真をめぐって」
中村史子「保存、蒐集、集積――作品としての写真アーカイヴ」

第二部(16:00〜)
橋本一径「写真とは何か――「顔」と「指紋」の間で」
前川修「ある写真とない写真――ベンヤミン『写真小史』再考――」



第一部

佐藤守弘「旅の写真・写真の旅――横浜写真をめぐって 」

 横浜写真とは、1860年代から1900年頃まで、主に横浜で販売され、海外──主にヨーロッパやアメリカ──からの観光客の土産品として持ち帰られたり、あるいは輸出されたりした写真の総称である。
 本レクチャーでは、横浜写真を、ヨーロッパで生産された〈旅行写真〉というグローバルな視覚文化のコンテクストに位置づける。さらに、横浜写真アルバムを、一種のコレクションとして考えてみることによって、異文化を収集し、分類し、展示することに関わるさまざまな力学とはどういうものであるのかについても考えていきたい。


中村史子「保存、蒐集、集積――作品としての写真アーカイヴ」

 現在、写真は現代アートの領域において大きな役割を担っており、作品を形作るうえで写真が欠かせない作家も少なくはない。
 今回、私は、その中でも特に、多量の写真から構成されている作品に注目したい。例えば、クリスチャン・ボルタンスキーの作品や、ゲルハルト・リヒターの《アトラス》シリーズである。そして、これら現代アートの分野でしばしば見られる写真の群的な提示を通して、写真のアーカイヴ性を検証することを、今回の目的とする。情報と記憶の集合体であると同時に、物質としての存在感をも備えた写真アーカイヴの特性を、現代アートの現場から写真のそれまでを振り返りつつ、浮かび上がらせてみたい。


第二部

橋本一径「写真とは何か――「顔」と「指紋」の間で」

 かけがえのない誰かの写真をペンダントや指輪に嵌め込んで持ち歩くという、19世紀のブルジョワ社会で流行した風習は、ケータイなどに形を変えつつ、現在まで受け継がれている。多くは凡庸な、しかし「私」にとってだけは大切な意味を持つこうした顔写真が、指紋と対極をなすものであることは、大切な誰かの指紋を持ち歩くなどという行為が、ほとんど想像しがたいものであることからも明らかだろう。しかし19世紀末に指紋を用いた身元確認を実用化に導いたのもやはり、他ならぬ写真技術だったのである。写真は「顔」でもあり、また「指紋」でもある。この両極端が出会う場面を、さまざまなフィクションやアートのなかに求めながら、本レクチャーは、「写真とは何か」という問いの周囲を徘徊してみることにしたい。


前川修「ある写真とない写真――ベンヤミン『写真小史』再考――」

 写真論の古典として、ベンヤミンの写真論についてはすでに多くが語られてきた。たとえば『写真小史』(1931)では、芸術という「審判席」を転覆させる写真が強調されているという。また同時にアジェ、ザンダー、クリュル、ブロースフェルト、モホイ=ナジの名が挙げられ、1930年前後の写真の転換が凝縮的に語られているという。しかし、この小文が掲載された雑誌には8枚の写真――半数はザンダーやクリュルの写真、半数は19世紀半ばの肖像写真――しかつけられていない。そしてそこには、テクストで言及されたものの、不在のままの写真も多数存在する。今回は『写真小史』に掲載された写真と不在の写真、その奇妙なずれについて考えてみたい。

申し込みは以下のサイトからできます。
https://g202.secure.ne.jp/%7Eg202131/form.html

何とか学会準備のけりをつけて、参加したいです。