以前の日記で、「自動化」の話をしたけれど、あれはもっと精緻に分析しなければならないと思う。例えば、自動露出と位置情報の自動取得とにおける「自動」という用語は厳密には分けるべきであろう。というのも性質としては別物だからである。前者は撮影時の補助的な役割を果たすのに対し、後者は付加的情報を収集する役割を果たすものである。故に、前者は補助的自動化、後者は付加的(情報的)自動化と呼んだほうがよいかもしれない。
アナログカメラ(マニュアル、オートの区別なく)の自動化は主に補助的自動化を極めるものだったのに対し、デジタルカメラの自動化は付加的自動化を極めるものとも言える。その違いは直接的には画像に見出せる。補助的自動化は対象がどう撮影されるかを制御する一方で、付加的自動化は画像的には何の干渉もしない。前回取り上げたソニーの「スマイルシャッター」はデジタルカメラの技術であるが、性質的には補助的自動化の系統に属する。そして、人々が一般的に抱くデジタルカメラ観は補助的自動化にではなく、付加的自動化にあるように思われる。
と、ここまで書いて私は非常に大きな「ズル」をしている。それは、デジタルカメラはCCDにおいて自動的な画像処理を行なっているということである。コンパクトデジタルカメラのお世辞にもちゃんとしているとは言えないレンズで、ある程度まともなのが撮れているのは画像処理のおかげである。そういう意味では、デジタルカメラも十分補助的自動化を満たしているとも言える(画像処理が上記で示したような補助的自動化に含まれるかどうかは問題である)。
とにかく、カメラということに絞って考えても十分考察しがいのある問題であることが分かった。(視聴覚文化研究会の発表へのコメントに対して:)デジタル/アナログの問題をすぐに「写真以外」に求めるのは早急過ぎると私は思う。写真内部(アナログカメラとデジタルカメラ、フィルムとデータ、印画紙とモニター等々)で話せることはもっともっとたくさんある。