ブクローのアトラス論は、実はすでにワコウ・ワークス・オブ・アートから翻訳(木下哲夫/大坂直史訳。65-94頁。http://www.wako-art.jp/publications/gerhard_richter/atlas/)が出ています。でもせっかく自分で訳しましたし、ワコウ訳で何か問題の個所(誤訳とか)でもないか探してみようかなと。
・タイトル"Gerhard Richter's Atlas: The Anomic Archive"に関して
ワコウ訳では「ゲルハルト・リヒターの《アトラス》 没価値性のアーカイブ」となっていますが、The Anomic Archiveを「没価値性のアーカイブ」と訳すのはちょっと違うかなと(価値があるかないかの話をしているわけではないので)。Anomieが示すのは、ある社会の価値観や規範が「崩壊」した状態のことであり、ブクローのアトラス論もまさに1920年代以降の写真雑誌の氾濫による記憶の破壊とナチス・ドイツによる破壊に焦点を当てています。リヒターはその「崩壊後」にアーカイブを作りあげていくわけなので、少し意訳気味だけれど「崩壊後のアーカイブ」(あるいは「崩壊以降のアーカイブ」?)と訳すほうがブクローの意図に近いんじゃないかなと思います。
・92頁「強制収容所の〜あるつながりの存在である」
翻訳は
強制収容所の犠牲者たちを撮影した最初の写真のセットが、それまでとぎれることのなかった凡庸な映像の連なりの内部で「プンクトゥム(刺し傷)」として機能し、それらの変奏の中で「ストゥディウム(一般的関心)」として機能しながら突然明らかにするのは、あるつながりの存在である」
となっています。
ちなみに、原文は
Functioning in the manner of a punctum within the heretofore continuous field of banal images and their peculiar variation on the condition of the studium, the first set of photographs of victims from a concentration camp now functions as a sudden revelation, namely, that there is still one link that binds an image to its referent within the apparently empty barrage of photographic imagery and the universal production of sign exchange-value. pp.143-144.
となっています。
原文と照らし合わせてみると、ワコウ訳は「(within) their peculiar variation」と補いながら、「on the condition of the studium」を「in the manner of a punctum」と同一の表現として訳しています。でも、これは少し無理があるような…。「強制収容所の犠牲者たちを撮影した最初の写真のセット」が「プンクトゥム」と「ストゥディウム」の両方の機能を有しているというのも、ちょっと意味が分からないですし。それよりも、「banal images and their peculiar variation on the condition of the studium」と捉えたほうが理解しやすいと思います。その観点で訳すと、
「この強制収容所から見つかった犠牲者の写真群は、ストゥディウムの条件に基づいた平凡なイメージとその変奏がそれまでずっと広がっていた場の内部において、プンクトゥムの仕方で機能することにより、今まさに突然の啓示として働く。」
となります。かなり直訳なので、もう少し噛み砕く必要があるかもしれませんが。

あとでもう少し、チェックしてみようかな。