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「映画と写真」no.2
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これが、この映画の大まかな内容である。写真にこだわってみていくと、いくつか興味深い点を挙げることができる。
第一:ファッション写真と(アートとしての)ジャーナリスティックな写真の区別。
第二:(第一と関わるが、)コンストラクティッドフォトとスナップショットの対比。
第三:引き伸ばされたプルーフ。
第四:見えるものと見えないものと聞こえるもの。
第一の点に関して。先にも述べたように、主人公は二つの顔を持っていて、一つは人気ファッション・フォトグラファー、もう一つはまだ殆ど誰にも知られていないアート系ドキュメンタリーの写真家としての顔である。「アート系」と付けたのは、彼があくまで「自己表現」としてジャーナリスティックな写真を撮影しようとしているからである。殺人現場を撮影したことを警察に知らせていないことからもそれは明らかであろう。
第二の点に関して。第一の点と重なるが、ファッション写真=作り込み・虚構とスナップショット=真実を対比させている。もちろん、スナップショットが明かす真実は真実の一部であって、全部ではない。そして、複数のスナップショットがあったとき、人はそれらを並べて一つの真実を構築(construct)する。両者を対比させつつも、その対立は本質的なものなのかを問うているようだ。
第三の点に関して。主人公が公園のネガから数枚のプルーフをプリントし、そのプルーフを基に細部を検討し、更に引き伸ばしたプルーフを制作する。しかし、主人公が家を少し留守にしていた間に、一枚を除いてすべてのプルーフが何者かによって盗まれる。このシーンは、主人公にとってproof(試し刷り)であったものが、別の者にとってはproof(証拠)であったことを示している。そして、盗まれたことによって初めて、主人公はそれが唯一のproof(証拠)であったことを痛感する。一枚だけ残ったproof(試し刷り)はproof(証拠)ではないということなのだろうか。その写真に関する主人公の妻の発言が印象的(「ビル[=妻の浮気相手]の絵[=抽象絵画]に似ている」)。
第四の点に関して。夜見に行ったときにはあった死体が、朝見に行くと無い。死体という「見えるもの」と「見えないもの」。そして、映画の最後のシーンでパントマイムの集団がマイムでテニスのゲームをするのだが、主人公はだんだんとそのゲームを目で追うようになり、最後には「柵を越えたボールを投げ返し」までする。ここにも、テニスゲームという「見えるもの」と「見えないもの」。投げ返したボールでまたゲームに興じるマイムの集団。すると、ラケットでボールを打つ音がし始める(画面は主人公のみを映している)。ボールという「見えないもの」と「聞こえるもの」。ボールを打つ音が聞こえていたとき、主人公の目には何が「見えて」いたのだろうか。