笹岡啓子写真展「EQUIVALENT」
2010年6月16日-26日
13:00-19:00 日・月・火休廊
@RAT HOLE GALLERY VIEWING ROOM
東京都渋谷区富ヶ谷2-19-7-2F
初日に行こうと思っていたところ、運良く雨が止んだので、早速行ってきた。タマダプロジェクトの展覧会(2008年)以降の展開を見れたらと思っていたのだが、愛媛で制作された作品を観ることができて良かった。タマダプロジェクトの展覧会以来、笹岡の写真を評する際に、「崇高sub-lime」という語が非常に有効だと感じていたが、今回はそれを再確認。笹岡の撮る場所は人間と自然の「閾limen」であり、人の「跡」(山道、手すり、人影など)が画面のどこかしらに常に存在する。それがイギリス人アーティストのダレン・アーモンドの写真作品と決定的に異なる点である。完全に人智を超えた自然を撮るのではなく、人間の力が及び得るギリギリの自然、人間と自然の接線を撮る。

笹岡の写真を観て、ドイツ人画家カスパール・ダーヴィト・フリードリヒ(1774年-1840年)の絵画を思い起こす人もいるかもしれない。画面前景あるいは中景に位置した背を向けている人物がフリードリヒの絵画には多く登場するが、笹岡の写真にもそれがよく当てはまる(笹岡の写真の場合は、画面中景あるいは後景に人物配置することが多いが)。この両者を「崇高」という言葉で結び付けることは非常に容易いが、そうするとどうしても自然のほうに重きがいってしまうように思われる。だが、笹岡の写真はあくまでも閾を写すのであって、自然を写そうとしているのではない。そして、彼女が撮影する場所の固有性という問題もある。これはフリードリヒの絵画には望めないものであろう。
写真のスケールも非常に重要な要素なので、是非とも直接展覧会に足を運んでほしい。
ラットホールギャラリーのサイトからでも写真集を購入することができるようだ。
http://www.ratholegallery.com/publications/pub.htm