Kenji Hirasawa, Celebrity, Bemojake, 2011


平澤賢治の『Celebrity』は、ロンドンにあるマダム・タッソー蝋人形館に訪れた観光客と蝋人形をサーモグラフィ・カメラで撮影したシリーズである。現代アーティストの杉本博司も「ポートレイト」シリーズで、マダム・タッソー蝋人形館の蝋人形を被写体に撮影しているが、平澤の視線は杉本のものと同じではない。


観光客のお目当ては、もちろんエリザベス2世やオバマ大統領、レディー・ガガベッカム夫妻ら世界的なセレブリティをそっくり模した蝋人形である。記念撮影をするために蝋人形の傍らに立つ観光客を、平澤は脇から撮影している。サーモグラフィ―は被写体から放出される赤外線放射エネルギーを熱分布に変換して可視化するので、生身の観光客は主に、赤や黄色で描かれる。それに対して、蝋人形のほうは周辺環境とほぼ同じ青色や緑色で描かれるため、背景に同化している。


ここで『Celebrity』をよりよく理解するために、この写真集以前の平澤のシリーズについても述べておく必要があるだろう。平澤は、生身の人間をバストアップショットで捉えた「ポートレイト」のシリーズと、蝋人形館の蝋人形のみを捉えた「Celebrities」のシリーズを、それぞれサーモグラフィ・カメラで制作している。そういうわけで、『Celebrity』は「Celebrities」のシリーズのいわば副産物として生まれてきたわけだが、セレブリティと観衆の関係をより明確に「可視化」させている。それはどういうことか。


セレブリティ=スターは果たしてどのような「星」なのか。自ら光熱を発する「恒星」なのか、それとも恒星の光を反射させて輝いているようにみえる「惑星」なのか。『Celebrity』をみると、観光客こそが太陽のような光熱を発する恒星であり、セレブリティ=スターはその光熱を反射させることで、まるで自らが発光しているかのように装っているようにもみえる。実際、観光客が蝋人形に触れたり、人工密度が高くなったりすることで、蝋人形のセレブリティの輪郭が立ち現われてくるのだ。


そして、サーモグラフィはセレブリティの人気度を意外なかたちで示してもくれる。それは、スポットライトの量だ。スポットライトが強く多く当たれば、それだけ蝋人形は熱を帯びる。こういうかたちでも、観客から「熱」を分け与えられているのだ。ちなみに、平澤は蝋人形を撮る条件として、撮影時点で生きているセレブリティのみに限定している*1。生身のセレブリティ(写真には写されていない)と蝋人形のセレブリティとの対比を慎重に考えていることが分かる。


この写真集は、様々な読みの可能性に開かれている。セレブリティへの皮肉、スターシステムへの懐疑、その一方で、うっすらとしか現れていないのにアーノルド・シュワルツェネッガーだと分かるイメージ流通の強さ…。写真集タイトルのフォントやカバーの質感にはある種の「薄っぺらさ」が感じられるが、これはセレブリティに対する作家からのひとつの態度表明と受け取れるかもしれない。


観光客の振舞いも、とても興味深い。女性歌手の腰に手をまわす男性、大統領の耳元に受話器を持っていく女性、片膝をつき女王に手を差し出す男性…(写真集の最後に、蝋人形となったセレブリティの名前が登場順に掲載されている。私は平澤の写真を見て、シュワルツェネッガー以外ほぼ誰も識別できなかった。)。蝋人形の姿があまりはっきりしないが故に、観光客の振舞いがより一層強調される。2013年3月に東京お台場にマダム・タッソー蝋人形館がオープン(2011年に期間限定でオープン)したが、日本人観光客は一体どのような振舞いをみせてくれるのだろうか。

*1:それに対して、杉本の撮る被写体の多くは、撮影当時すでに亡くなっている人物が多いように思われる。