サド→バタイユの方向で「異質性・同質性」をもう少し
調べてみるかな。それが精神ではなく、常に肉体をその
活動の場としている点で、ハンス・ベルメールとつなげる
ことができるのではないかと。この三者に通底する時代性
として、何か肉体重視的な要素があればまさにどんぴしゃ
なんだけどな。まあそううまくはいかないか。
バタイユシュルレアリスム批判は、シュルレアリスム
高尚な精神と堕落な肉体という二項対立に陥ったとき、堕
落な肉体を認めようとしないのはイデアリスム的であると
断罪していると理解される。