2004-03-08 ■ 日常 bellmer サド→バタイユの方向で「異質性・同質性」をもう少し調べてみるかな。それが精神ではなく、常に肉体をその活動の場としている点で、ハンス・ベルメールとつなげることができるのではないかと。この三者に通底する時代性として、何か肉体重視的な要素があればまさにどんぴしゃなんだけどな。まあそううまくはいかないか。 バタイユのシュルレアリスム批判は、シュルレアリスムが高尚な精神と堕落な肉体という二項対立に陥ったとき、堕落な肉体を認めようとしないのはイデアリスム的であると断罪していると理解される。