昨日、「イノセンス」とリルケの接点について書くと言い
ましたが、別にそんな大したことでもないので、期待して
いた方はすみません。
リルケは自らの詩の中で、人形についてしばしば語ってお
り、そこにおいて人形にある種の「生」を認めている。特
に"PUPPEN Zu den Wachs-Puppen von Lotte Pritzel"(邦
題では、「人形について ロッテ・プリッツェルの蝋人形
に寄せて」)は、ロッテ・プリッツェルの人形が従来の子
供用人形からは完全に脱していることを、その子供用の人
形と比較して語っている。
その件で、(子供用)人形と犬が人間の「良き理解者」と
して描かれる箇所がある。引用すると、「人形は、犬のよ
うに関知者に、共犯者にさせられ、しかし犬のようには影
響を受けやすいわけでも、忘れやすいわけでもない」とあ
るが、最後の文章は人形というものがなかなか自らの事物
性というものを忘れ得ないという点で犬とは決定的に違う
ことを示唆している。「イノセンス」に出ていた人形は愛
玩用人形であり、それはまさに大人版子供用人形である。

しかも更に因縁めいたものとしては、このロッテ・プリッ
ツェルはベルメールと1925年に会っており、そこでオスカ
ー・ココシュカからの等身大の人形の制作依頼の話をして
いるのである。ベルメールがこの等身大の人形の話をどこ
まで覚えていたかは分からないし、その影響であの球体関
節人形を作ったかも分からない。ただ、当時のドイツにお
いて、人形に何かしらの変化らしきものが起ころうとして
いたのは確かであろう。