「yaso:doll」の斉藤環の文章を読む。
ベルメールを日本における球体関節人形の始原として位置
づけることに文句はないが、彼の思想まで日本に伝播した
とは到底考えられない。彼の思想を第一の人形の写真集の
序文に限定するならば、可動性の追及ということで日本の
人形作家に通じることもなくはないが、それ以降の思想は
日本には入っていないのではないだろうか。(書きかけ)
卒論の最後で書いた、ベルメールアルトーバタイユ
「肉体的無意識」の系譜に並べて、ブルトンらと対比させ
ようとする試みは結構有効なのではないかと考えている。
アルトーバタイユの文章の中に「肉体」「無意識」とい
う言葉が見つけられればなあ。誰か情報あったらお願いし
ます。もう一つ軸が欲しいところ。視覚的無意識と対比さ
せたり。まあ根本的に肉体的無意識と視覚的無意識は対立
するのか否かという問題はある。