にっぽん劇場写真帖にっぽん劇場写真帖
寺山 修司

新潮社 1995-12
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森山大道の処女作。1968年に室町書房から出版されたものの復刻版である。森山大道の代名詞ともなった「アレブレ」が写真集の至るところに現れている。この写真集を見た時、彼の作品は完全に再現性(representation)・模倣性(mimesis)を飛び越えていると感じた。すなわち、ものの形を忠実に、美しく模倣するという意思が全く感じられないのである。それは、写真に写っている人物ののっぺりした顔を見れば分かる通り、レオナルド・ダ・ヴィンチボッティチェリの描くような女性の顔とは似ても似つかない。かといって、写ったもの(object)に対する主観的な感情を表すような表現性(expression)も感じられない。それは、マティスの描く緑色した鼻筋を持つ女性像のように、粒子が顔に浮かび上がっている人物を表現したかったわけでもあるまい。森山は荒木との対談(「森山・新宿・荒木」展カタログ所収)で、写真の前にいる人間に全く興味がないとも断言している。森山はここで、写真が、というより芸術が理論的に拠り所とする模倣性あるいは表現性をはなから受け入れようとしていない。だとすると、この写真集自体がある種の(写真そのものに対する)自己言及性を帯びていることになる。粒子の粗さは、週刊誌の暴露記事に載る写真を連想させ、まさに写真そのものを暴露しているようでもある。森山は更に後まで、「写真とは何か」を考え続け、ある時(「写真よさようなら」)から写真が撮れなくなってしまう。その予兆がすでに処女作から濃厚に漂っているのである。