なんとかレポートも提出して、写真展の準備に本格的に取り掛かろうとする矢先に、雪ですか・・・・・・。今日は、図書館で6冊近く借りたから、今週は読書漬けかな。
>s-showさん
デュシャンに関して・・・「泉」を展覧会に出す動機としては、当時のアートワールドの住人に対して「不浄な」ものとしての便器を投げつけることが重要な問題でありましたが、それは依然として従来の「美」の概念に捉えられていたと言えるかもしれません。しかし、一方ウォーホールはブリロボックスを「自分の生活になくてはならない大切な日常品」という観点で制作しているように思われます。デュシャンの扱いは、なかなか難しいですね。絵画とレディメイドをどう扱うかも問題としてありますし。ただ、アートワールド「全体」の流れとして、1960年代くらいに芸術のアイデンティティの拒否が現れ始めるといったほうがよいかもしれません。
デュシャンについての論文を一本見つけました。雑誌『美学』第55巻3号2004年に所収の花澤志「マルセル・デュシャンキュビスム期における独自性――<第四の次元>の概念を中心に――」です。時代も1910年代が焦点になってます。ただ、議論としてはまだほんの入り口みたいなもので、物足りなさと今後の期待が残る論文です。