一週間の出来事。
写真展終了。
アビエイター』、『エターナル・サンシャイン』を見た。
>s-showさん
コメントが遅れてすみません。デュシャンが「泉」を「芸術作品」として見ていなかったのは、まさに自身が「不浄なるもの=non art、美なるもの=art」と考えていたからではないでしょうか。デュシャンが網膜的な再現性信仰(あとは手業信仰か)を否定したというのはまさにその通りだと思います。ダントーの議論の中で、単なる便器と「泉」を区別するのは目では捉えられないところにあると主張している(「アートワールド」の論文では書いていなかったかも)のは、網膜的な再現性がすでに芸術の条件にはなり得ないことを意味しているのだと思います。本議論では美的認識の問題と網膜的再現性の問題の二つの見方がデュシャンに関して提出されていますね。
ただ、僕の書き方にも問題があります。例えば、写真史では1980年代以降と定義されるコンストラクティッドフォトグラフィの中にベルメールの写真が含まれたりするのですが、それは時代的な錯誤が生じてしまうかと思います。それと同じように、時代区分ではうまく線引きできないこともあって、それがデュシャンの件であると(そんなことはどの分野にも当てはまり、当たり前といえば当たり前なのですが)。うまく自分の意見を表現できなくてすみません。