昨日は大学のコロキウムという授業で論文紹介。

The Meaning of Photography (Clark Studies in the Visual Arts)The Meaning of Photography (Clark Studies in the Visual Arts)
R Kelsey

Yale University Press 2008-09-30
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この論文に収められているバッチェンの論文を紹介しました。
Geoffrey Batchen, “Camera Lucida: Another Little History of Photography,"
Robin Kelsey and Blake Stimson, eds., The Meaning of Photography, Yale University Press, 2008, pp.76-91.
バッチェンは『明るい部屋』に対する従来の評価(1.理論的著作であること、2.『明るい部屋』以前のバルトのテクストとは断絶していること)を問題視し、1'.写真史として読むこと、2'.過去のテクストとの連続性を語ること(かつ、その内部破壊が起きていること)を狙いとしている。
1'.『明るい部屋』を理論的著作としてではなく、写真史として読む。しかも、写真史家が「客観的」、「第三者的」に描く「写真史the history of photography」ではなく、「私的」、「一人称的」な「ある写真史a history of photography」を描いている。それは「写真と読者」という受容関係に注目したものであり、ある種の個人史的な性格も有しているように思われる。
行間を読むとすれば、バッチェンのアマチュア写真史研究としての立場も後者の写真史に属するということで、Barthes-Batchenラインを描こうとしているようにもみえる。更には、タイトルの副題がまさに示すように、BenjaminとBarthesとの類似性を指摘することで、Benjamin-Barthes-Batchenという3Bラインにまで発展させるという。
2'.『明るい部屋』とそれ以前のバルトのテクストとの関連性をみる。それ以前のテクストに見られる二元的思考binary thinkingが『明るい部屋』でも引き継がれている。その最たる例は、『神話作用』におけるdenotation/connotation、『明るい部屋』におけるstudium/punctumであろう。ただし、『明るい部屋』では、そうした二元的関係が内部破壊を起こしている。その破壊を引き起こす要因となっているのが、これもまたバルトのテクストである「作者の死」で明らかにされた読者への力の移行である。「studium/punctum」という二項関係は読者の読みreadingによって簡単になし崩しにされる。とはつまり、あらゆるものがstudiumでもありpuctumでもあり得るのである。

本当は、上記の著作に収められている別の論文(インデックス論関係の論文)を紹介する予定だったのですが、その論文は一部分を取り上げるには役立つのですが、全体を紹介するにはちょっと物足りないかなと感じたので、急遽変更。一昨年のマーガレット・オーリンに続く『明るい部屋』論。