昨日はG/P Galleryでの小山さんと良知さんの対談を聴きに。小山さんのトークを聴くこと自体はこれで3回目という…どんだけ追っかけてるんだと笑。前回のトークで小山さんがちらっと自身の撮ったデジタル画像の整理の仕方について述べていたのだけれど、どういうソートの仕方を当てはめるかという思考そのものがデジタル的なものとも言える気がする。それはデジタル画像の外部の付属物ではなく、それも含めてデジタル写真であると言うべきなんじゃないかな。
「Digital Photograph」という用語と「Digital Photography」という用語は似ているようで違うものである。飯沢耕太郎さんが「デジグラフィ」(『デジグラフィ―デジタルは写真を殺すのか?』中央公論新社 2004年)と述べる際には、ほぼ前者の意味で使っている。そこではデジタル画像とアナログ画像の違いが主に論じられており、異論の余地はもちろんあるものの「Digital Photograph」の一側面は的確に捉えられている。しかし、私自身の興味は、「Digital Photograph」よりも「Digital Photography」のほうに現在のところ向かっており、後者についてもう少し考えてみたい。
「Digital Photography」は別に画像だけに限定されるものではない。先に述べたソートの話もそうだが、写真画像をどう撮るかだけではなく、写真画像をどう保存整理し、どう流通させ、どう表現し、どう受容するかといった様々な場面で、「Digital Photography」の問題が浮上してきている。その点で、「Medium-Specificity」と言ったとき、「Photograph」を指すのか「Photography」を指すのかを曖昧にしてはならない。例えば、トークの質疑応答の際に小山さんの作品のタイトル付けに対して、私は「タグ」という表現を用いたが、それは彼のタイトル付けも「Digital Photography」の構成要素となっているのではないかと感じたからである。デジタル画像の保存整理とタイトル付け=タグがリンクしている、と。私はこういったものも「Digital Photography」の「Medium-Specificity」の一要素だと主張したい。