>amalecさん
本文のほうで失礼します。
確かに両単語を混同して使うのは致命的ですね。ただ一方
で、corpsとchairを宗教的含意においてのみ区別すること
で事足れりかどうかということもまた問題であると思いま
す。その区別を本当に超え出ていないのか否かとか。バタ
イユの糞便性に関しては、私自身も実際のテキストを読ん
だわけではなく、吉田裕『異質学の試み バタイユ・マテ
リアリストI』『物質の政治学 バタイユ・マテリアリスト
II』(どちらかにバタイユの糞便性に関して述べた結構長い
論述があります。)を軽く読んだだけなのですが、逸脱
としての糞便性に収まりきらないものもまたあるように感
じられました。排出したものを再度取り込むという一つの
循環がそこに成立していて……といったような内容だった
気がします。そのときはバタイユブルトンとの間の温度
差を知りたくて読んでいたので、あまり詳しくは考察しな
かったのですが。全然関係ないのですが、アルトーはヌー
ディズムには参加しなかったんですかね。
SWEET SIXTEEN』を観る。台詞が全然聞き取れなかった!
まあ字幕ですけど。